見出し画像

いわきFCとの出会い〜これからの人生〜

サッカーとの出会い

2002年FIFAワールドカップ開幕。
それがサッカーとの出会いでした。
当時小学生の自分は初めてテレビ越しでサッカーと言うスポーツがある事を知り、釘付けになったのを覚えています。
なんて煌びやかなのか!ここにいる人達は英雄なのか!?当時の自分はそんな風に見えてました。
特に感激したのが小野伸二選手や中村俊輔選手、中田英寿選手に凄く影響を受け、地元のサッカー少年団に入りました。
現在までの人生の中で1番長くやったんじゃないかと思える程熱中してました。
中学に上がる時は、辞めてしまいました。
理由は、そこでは出来なくなったからです。
部活でやればいいと思うかもしれませんが中学校の奴らと何故かしたくないと思い、やりませんでした。
まだまだ遊びたいと思ってしまい、小さな自分の愚かな考えでサッカーあの頃の感激をここで潰してしまうのでした。


あのチームとの出会い


皆さんは、ご存知だろうか?
今、いわきFCが試合をしているJビレッジをホームグラウンドとしていたチームがあったことを。
それは、東京電力女子サッカー部『TEPCOマリーゼ』、あの丸山桂里奈選手や鮫島綾選手が所属しておりました。


当時自分が小学生くらいから高校生の時まで存在していたチームです。
それが初めて応援したチームで、自分の父親に連れられて行ってハマってしまいました。
マリーゼのSフラッグを買ってもらい、そこに全選手のサインを貰ってました。
昔の記憶なので曖昧ですが、強かった気がします。
ずっと、続くと思ってました。あれがおこるまでは。



3.11 東日本大震災



当時自分は高校生でした。
地震、原発事故でマリーゼが実質廃部となり解散となってしまいました。
これで自分はサッカーと関わる機会がなくなった。
Jビレッジは仮設住宅が出来、サッカーどころかスポーツなんてやってる場合では無くなってしまいました。
マリーゼのグッズも次から次へと消え去りました。
ここで一度終了です。
もう二度とサッカーに関わることは無い、あの時の歓声やコールはもう聞けないと本気で思ってました。


いわきFCとの出会い

年月が経ち、四捨五入すれば30になる歳まできてしまいました。
引越しや結婚など月日が経つと自分の人生も変わるものだと感慨深くなります。
妻は岐阜県出身で、自分はいわき出身。
なんとなく夢もなく流れるままに生きてきた人生で気づけば妻を連れていわき市へ帰ってきました。
毎日家と職場の往復で日曜日のみの休日でつまらない毎日でした。
職場のパワハラやブラックさに嫌気がさして、社会人としては間違ってるかもしれないが半ば強引に会社を辞めた時に父親からサッカーを見に行かないか?と誘われました。
父親からサッカーを観に誘われたのは10年以上ぶりですが、どうせつまらない試合なんだろーなってその時は思ってました。
初めて見に行ったのがJFLの時で、11月14日FCティアモ牧方戦です。
いわきグリーンフィールドに着くと懐かし光景が広がってました。
二度と味わえないと思ってたサッカー独特のフードブースの人だかりや活気、コロナで声出しはなかったですが、自分には選手を応援するサポーターの歓声が伝わってきて、懐かしいマリーゼ以来の熱気がそこにはありました。


試合開始して直ぐに自分はいわきFCの虜になりました。
フィジカルの強さやゴールへと突き進む選手達の攻撃的なプレースタイル。
気づけばいわきFCにどっぷりと魅了されました。

いわきFC


いわきFCの応援をしながらYouTubeで動画を見ていると大倉社長のインタビュー動画などが出てきました。
正直に言うとこの時思ったのが、何故いわき市に縁もゆかりもなかった人達がいわき市の為にここまで努力する事が出来るのか不思議でなりませんでした。
大倉社長の言っている「フィジカルスタンダードを変える」はいわき市でなくても出来るはずなのに何故なんだ!この事が頭から離れませんでした。
今は、ただただ感謝しかありません。
お金があっても、地位や名誉を投げ捨て出来る人が他にどのくらい居るだろうか?
言うことが立派でも行動を起こせる人はどのくらい居るだろうか?
どんな理由であれいわき市をホームとして選んでくれたのは本当に感謝しかない。
大倉社長は行動で示してくれてるのだから。
だから信じられるし応援したいと思えたんだと思う。
これから先のいわきFCがどのようになるのか楽しみである。

Jビレッジ


話は少し戻ります。
これを読んで貰ってる方に少しでも覚えていて欲しい事があります。
それは昔同じ場所でプレーしていた方たちが居たことを。
いわき市を盛り上げようとしていた方たちが居たことを。
ほんの少しだけでも良い。
マリーゼと言うチームが存在していた事を。
俺のお願いです。

大旗


今年、J3リーグでのYSCC横浜戦で初めて大旗デビューしました。



自分が出来ることは何も無いが、少しでもいわきFCの力になりたい。選手達の後押しがしたい。
そんな事を思い、考え着いた先が大旗です。
だからと言って何かこの先大旗以外で会場を盛り上げられるかと言われたら多分無いと思います。
自分は旗を振り続けるしかない。
振ることしか出来ないのです。
だからこそ少しでもホーム戦は行って振り続けます。
技量が足らず周りの方に迷惑をかけるかもしれないが暖かく見守って欲しいです。
少しづつかも知れませんが必ず技量は上げます笑
大旗隊の方達も迷惑をかけてると自覚してますがこれからもよろしくお願いします。

有田稜選手について

※引用 いわきFC公式サイトより


今まで自分は推しの選手を作ることはしませんでした。
移籍したりチームが解散したり、引退したりと悲しい思いをするからです。
ですが、J3リーグでの愛媛戦でのあのワンプレーやバルセイロ戦でのプレーを見て魅了されました。
でも、その時は推しになる事はまだなかったです。
ですが、有田選手の話を聞いて感動して推しになりました。
だってサッカーしてる理由のひとつに親孝行したいからですよ?
そりゃー感動します!!
応援したくもなります。
単純な理由かも知れませんが自分にとっては言葉では言い表せないほど感銘を受けました。
それ以外にもここでは書けない事もあり、そこでも感銘を受けたり、有田選手の優しさを知り、泥臭くてもチームを勝利に導く執念やひたむきに努力し続ける姿勢、移籍したとしても、引退したとしてもこの選手を応援し続けようと思いました。
これから先怪我やスランプなど色々な理由で悩むこともありますが、応援しております。
だからこそ有田選手には挑戦し続けて欲しい。
個人的には移籍して欲しくないですが笑
一緒に写真撮りたいな笑サイン欲しいな笑

これから先の自分の目標


ここでここに書くと言うことは自分なりの意思表明でもあります。
自分はこんなとこで終わりたくない。
もっともっと成長したい。
だから自分で会社を立ち上げようと思います。
個人事業主からになると思いますがいずれは従業員を持てるようになりたい。
そしてもっともっといわきFCの力になりたい。
スポンサーになりたい。
そんな風に考えています。
それがいつになるか正直読めないが必ず成し遂げます!!
将来はいわき市を盛り上げたいし、自分は、犬が好きなので捨てられた犬や野良犬などを保護して殺処分ゼロを目指したいと思ってます。
まずどんな事業をするかはまだ言えません。
大倉社長がいわき市を東北一の都市にすると言ってくださってるなら自分も協力出来る存在になれるよう力をつけたいと思っています。

最後に

ここまで読んで下さりありがとうございます。
本当はもっともっと思ってることが沢山ありますが中々文章にするのは苦手で読みづらい内容となってしまいました。
いわきFCには本当に感謝しかなく、また、自分と関わってくださってるサポーターの方達にも感謝しかありません。
これから先皆様にはご迷惑をおかけしますが末永くよろしくお願いします。
共に皆さんでJ2昇格目指して応援しましょう!!
ありがとうございました。




いいなと思ったら応援しよう!