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一瞬に泳ぐクジラ

クジラの墓場

 美しいサンゴ礁に囲まれた小さな楽園の島国フィジー共和国から東に800Kmほど進むと波が穏やかになり生き物の声がしなくなる。水面から地球のどんな山をひっくり返してもけっして埋まる事のない程の深い深い谷。トンガ海溝だ。
 ここはだれも寄り付かないクジラの墓場だ。墓場といっても雰囲気は別に悪くない。ただ餌となる魚もいなく静寂があるだけの寂しい所だ。
 トンガ海溝には年に二回クジラ達の儀式がある。春分の日と秋分の日にクジラ達はトンガ海溝に向かって何でもいいから歌を歌わなければならない。ベートーヴェンの歌が今でも根強い人気だが、ザトウクジラのノアの率いる合唱団が歌うイマジンも人気だ。イマジンはジョンレノンの名曲で音が少ないのに優しくいつまでも聴いていたくなるのが良い。でもイマジンはすぐに終わってしまうから、どこまでも深いトンガ海溝には不釣り合いだと私は感じてる。

シロナガスクジラのルゥ

 ルゥはすこし小柄なオスのシロナガスクジラだ。ルゥは人間と旅が大好きでバイオリンの弦になりたいと言う変わった夢を持っている。南半球も北半球も関係なく泳ぎまわりたくさんの歌を覚えた。ルゥはリヒャルトワーグナーのフライングダッチマンを歌うのが得意だ。その静かな歌声は幽霊船のように微かに大海原を漂い色んな海域に響いた。ルゥの歌声は魅力的で太平洋ではナチュ、大西洋ではマヤ、インド洋ではゲッペイ、それぞれの海でメスのシロナガスクジラと番となり、十年かけてナチュ、マヤ、ゲッペイとの間に二頭ずつ子供を作った。ナチュ、マヤ、ゲッペイは子育て熱中して忙しくしていた。
 白夜の季節。シロナガスクジラはノルウェー海に集い楽しく歌い合う。ルゥを通じてナチュ、マヤ、ゲッペイは知り合い助け合うことになった。三頭はとても仲が良く同じ子供を持つ友達であり家族になった。
 子供たちもたくさんの大人に囲まれて、体当たりしてくる悪戯好きなシャチ達を気にせず水面の上を飛んだり、薄い氷をわったり、いろんなことをして遊びを兄弟に教えてもらった。私は6人兄弟の末っ子でナチュの子供だ。この時が一番幸せだったように感じてる。

ノルウェー海の白夜

 ある白夜。バン。と言う破裂音がナチュの背中から鳴ってナチュはひどく痛がり動けなくなった。私がオロオロしてるとマヤとゲッペイはひどく心配してナチュのそばに近寄って来た。バン。バン。と破裂音がマヤとゲッペイの背中からもなって同じように動けなくなった。バン。バンという音がそこかしこに鳴っているどうしたらいいかわからず私は動けなくなった。いつもは饒舌なシャチ達の必死な声が聞こえてきた。

「潜れ。潜れ。」

 とだけ言うので私だけが海に潜った。家族は潜ってこなかった。当時はわからなかったが皆人間に拐われてしまった。シャチたちは私を見ながら、まだ子供なのにひとりで可哀想にとか、人間の相談していたのを覚えている。

「あの爆発する銛の威力を見たか?刺さってから爆発したぞ!あんな狩りは真似できないね!」

「ククククク。人間たちはすごい力を手にして溺れているんだ。怖い怖い。」

「カカッ。全く怖い怖い。知らせの伝令を南にも出そう。」

 とシャチたちは話していた。私は黙って沈んでいた。そして私は楽しそうに話すシャチも人間も恐ろしくなって潜った。
 私は毎日違う家族を転々とした。水面には極力でず、バン。という破裂音がなったら潜る。 
 たくさんの家族を犠牲にして私は生き延びる生活を続けた。たくさんの家族が人間に拐われていった。毎日生きるのが大変だった。私の心は日に日に動かなくなる氷河と同じように固く固く凍り付いていったように感じる。

ベーリング海峡の大行進

 ノルウェー海から追い立てられるように、チュクチ海まで流れてきた。私はそこで懐かしい太平洋の匂いがした。太平洋から流れてくる海流の匂いだ。狭くてとても浅いベーリング海峡だ。左右の陸がすごく近い。たくさんのクジラとシャチが太平洋を目指して泳いだ。先頭のマッコウクジラ達が氷河を砕きながらベーリング海峡は浅い海を泳いだ。潮流に逆らう泳ぎだったが、私たちがうねりとなりあっという間に太平洋に着いた。

「ククククク。よく生き残れたなルゥの子供よ。」

 シャチのニコルは生きるチャンスをくれた。「潜れ。潜れ。」と指示をしてくれたシャチだ。ニコルは賢く有名だった。ニコルはノルウェー海から人間の事をずっと観察していた。
 私はすっかり無口になっていたが、ルゥの名前を知っているニコルに親しみと安心を覚えて、初めて話しかけてくれたニコルに感謝を伝えた。

「ありがとう」

「ククククク。礼儀を知っている子供は大好きだ。」

「ルゥを知っているの?」

「ククククク。ルゥはいい奴だ。今日は忙しいからまた会えたら話してやろう。頑張って生き残れよ。」

 ベーリング海峡をたくさんの仲間たちと泳ぎ切った興奮と懐かしい太平洋。そしてニコルの励ましで私は周りの大人たちのように力強い大人に早くなりたいと感じた。

シャチのニコル

 私は大人になった。白夜の季節になると南極に行くようになった。ノルウェー海は行かなくなった。南極でシャチのニコルと話すのが楽しみだ。ニコルは大人になった私を見つけて話しかけてくれて、ニコルはいつも私を気にかけてくれた。ニコルは鳥とも話す事が出来たので何でも知っていた。そしてニコルはルゥとも仲がよかったらしい。私の知らない思い出話しをしてくれた。行方が分からなくなったルゥのことを探す手伝いもしてくれていた。
 人間は相変わらず毎日クジラをバン。バン。とさらっていく。人間にいたずらをしていたニコルたちも人間には手を出さなくなったそうだ。不思議な道具ばかり作る人間にニコルは一目置いてる。クジラを拐う船は毎年増えていった。

「あのクジラは全部バイオリンやチェロになるのかな?」

 少し自虐的に聞いたら、

「ククククク。お前のユーモアは笑えない所に喰ってかかるから好きだ。ククククク。」

 と笑ってた。そして鉄の船を見ながら、

「今にあいつら鉄も魚も作ってお前を追いかけてくるぞ。」

 ニコルは潜水艦の事を予言したけれど。私はそれらの会話が面白くて、怖くて、面白くて、私は大げさに笑った。ニコルの冗談はいつも刺激が強い。毎日家族が拐われていく日々の中でも冗談が言える私が面白かった。あの時人間が潜水艦を造船するのを最初に予言したのはニコルだ。今思い返してもニコルはやっぱり凄いと感じる。

ラブラドル海の氷山

 ノルウェー海の西にあるラブラドル海は陸地の大きな岩が流氷に乗って運ばれて海の底は岩だらけだ。ラブラドル海は人間が少なくエビもうまい。しかし、大きな氷山がいくつも流れていて危険だ。そんなラブラドル海でルゥが新しい家族と一緒に氷山に閉じ込められてしまい潜ることができずに死んでしまった。そんな話しを渡り鳥を伝って聞いたんだ。私は何も感じなかったのかな。

ザトウクジラのノア

 たくさんの船がアメリカに渡り人間がどんどん集まっていく。空に名前がついた。ロンドンとニューヨークだ。ロンドンとニューヨークには鳥と共にたくさんの飛行機と飛行船が飛ぶようになった。クジラは相変わらず人間にどんどん拐われていく。あの大きな飛行船の骨格にクジラが使われてると鳥達が噂するようになったが。骨格に使われてるのはアルミニウムだよ。と私は言わなかった。私も空からの景色を見てみたかったから。
 私は人間がジャズをするようになって大西洋のバミューダによく出るようになった。ザトウクジラのノアはジャズが好きだった。私はノアの歌が聞きたかった。ノアはいつも自由だった。

「みんなチャーリーパーカーに夢中なの」

 ノアの好きなチャーリーパーカーが嫌いな私はすぐに話を終わらせたくなる。

「あんな早くてでたらめなのは音楽じゃないと思うよ」

「でたらめで自由なのがニューヨークよ。もし人間に拐われるならニューヨークがいいわ」

 人間に拐われる話しになると、私とノアはミュージカルを気取ってコールポーターのエニシングゴーズを何度も何度もスイングして泳いだ。アメリカに渡った人間はみんな幸せそうに華やかなジャズを生み出していく。次の白夜の季節は僕も人間に拐われようかなとはノアには言わなかった。次々に素晴らしい音楽を生み出すチャーリーパーカーに私は嫉妬を感じていた。

リトルボーイとニコル

 シャチのニコルは人間が作った核兵器にいたく興奮していたのを覚えている。

「ククククク。リトルボーイは太陽が海に沈むほどの熱と目が潰れるほどの眩ゆい光を放つらしいぞ。ククククク。」

「北極に落としてくれれば氷山が全部溶けるのに。」

「ククククク。それにペンギンだけじゃなくシロクマもいなくなっちまうしな。ククククク。」

 私はニコルとシロクマの因縁にはピンとこなかったが、翌年のビキニ環礁であった核爆発でニコルは目と声を失ったのを覚えている。
 核兵器で目と声を失っても何とか生き残ったニコルが恐怖のテレパシーでシャチとクジラを悲しみで包み込んだ。あの頼もしいニコルが自分を見失ってしまった。いつまでも恐怖のテレパシーを放ち続けるニコルをニコルの仲間達は恐怖のテレパシーと一緒にニコルを黙って食べてしまった。
 その後にも毎年毎年人間は何百発という核兵器を太平洋に放ち続け、人間は海底の形を変え、生き物の声を消していった。私は沈黙することにした。心を分厚い氷山に閉ざしていくのを感じた。

トンガ海溝の幽霊船

 大西洋と太平洋の海底ケーブルからたくさんの音楽と映像が響き海に溢れるようになった。マッコウクジラの間には麦わら海賊団のラブーンに触発されて、海底に体当たりして頭に傷をつけるのものが現れた。人間と喧嘩しないように子供に言い聞かせるのは大変そうだ。
 人間たちの中でもクジラを守ろうとする動きがあった。白夜の季節にノルウェー海ならチュクチ海を久しぶり泳いだ。でもベーリング海峡は今の私には狭かったので引き返した。
 私には家族がいなかった。ルゥの得意していたワーグナーのフライングダッチマンと同じようにただ海を彷徨うだけ。今の私は幽霊船だ。幽霊船はどこにも辿りつかず寄港地を求めてただ彷徨うだけだ。
 クジラの墓場。太平洋のトンガ海溝で動かずゆっくり沈んでいく一隻の幽霊船。幽霊船の尻尾に太陽の光が感じられなくなると、冷えていく温度と上がっていく水圧が私を締め上げていく。ノアの合唱団の3回目のイマジンが聴こえる。
 私もドリーマーだ。
 ナチュと一緒に泳いだ懐かしい匂いがした。みんなも繋がればいいのに。

 4回目のイマジンはしつこいと感じたので、1500km東のクック諸島までノアに会いに行こうと思った。
 私は目を開き幽霊船はまた泳ぎだした。

おわり。

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スノー@哲学者
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