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進路指導の思い出⑦
新任4年が過ぎて、平成8年、第4学区からやっと大阪市内に帰ってきて、昔、友人が卒業した高校の教諭になりました。学生の頃に文化祭に来たこともあったので、当初、不思議な気分でした。一年目が生徒会指導部で、春に古い事務机が綺麗に空だったのは、フリーハンドで自由にやって、という意思表示であろうとは思っていましたが、体育祭打ち上げの時に部長が「体育科なしで体育祭をやり遂げることができた❗️乾杯❗️」と言ったので、これはひょっとして大変なところに来てしまったのでは😱と一気に不安になりました。全く有り得ない状況でした。
その後、病気で担任を降りて、進路指導部の常駐に入りました。その時も机は空でしたが、生徒会指導部と違って、引き継ぎがありました。私は専門学校担当になりました。
看護医療系の専門学校の進路指導で、模試等があり、また試験も面接も対策が必要だという話で、校内模試の監督代金を過去問の購入に宛てているので、校内模試をよろしく、と言われました。過去問はバラバラのコピーの形で生徒が閲覧できる側に置いてありました。
進路指導部の部屋は、少子化で空いた教室一つを真ん中で分け、東側が教員、西側が生徒向けのスペースでした。
西側は東との境目にスチール抽出を並べて一カ所教員スペースへの通路に開け、南は窓、西の壁に黒板?とスチール書棚(蛍雪時代など受験雑誌)がありました。
北側は大きな作業机にチラシ等、その下と横、入り口ドア付近に段ボールに看護以外の専門学校の募集要項が大量に入っていました。
中央に作業机が南北に2台ならべ、周りに椅子を置いて、閲覧室風になっていました。
東側は書類保管庫と応接セット(ここは給湯室が近かったのと進路指導部で来客にお茶を出す習慣がなかったので水屋がありませんでした)進路指導部教員の机が4、5台、パソコン台にパソコンとプリンタ、そう言えば黒板はそのまま残してあったので、掲示物と予定表になっていました。専門学校担当の私の他に就職担当が一人と、進路部長、合計3人が常駐でした。大学や専門学校や企業からね来客を3人で分担するのはきついはずなので、もう一人くらいいたかも知れませんが、誰もいなければ職員室横だったので、教頭が対応していたと思います。
大学の募集要項が来たら、スチールのグレーの縦10段ぐらいの書類抽出に、大学別に入れ、医療系大学と看護専門学校の抽出もあったと思います。
看護師のお母さんのいる生徒たちが看護師を希望して毎年十数人、指定校推薦等で看護専門学校に進学していました。下位の大学より難しく、受験対策が必須でした。
しかし、その他の専門学校は、受けたら通る、と言って、抽出がなく、段ボールから好きに持っていってもらう状況でしたが、介護の資格ができた年に、あまりその学校から介護系に勧めてはいなかったので、自分で探して、と言ったら、学年会議でその生徒の担任から強く批判されたため、看護以外の専門学校の抽出、というのを作り、南の窓の下に据えてもらいました。なんだかんだと増えて50ぐらいあったでしょうか。
進路指導部では「仕事を増やした」と不評でした。当面の担当は私ですが、ずっと私が担当するわけではないからです。
看護専門学校でも、それ以外の専門学校でも高校で担当していると、いろいろなことがありました。
また、別々にお話ししたいと思います。
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