変な人と呼ばれて②ー客観性のなさ
変な人、と呼ばれるのは、まあかなり昔からで(はっきり覚えているのは中学かな?40年以上前ですね)でもワタシは至って普通、と思っていました。
しかし❗️
自分でも、やらかしました😱ということは、数知れずあります。
例えば、某大型スーパーについて、「あそこの野菜は農薬の味がするから、絶対!買えへんねん」と、家で言うと、今は亡き父が「それを、そのスーパーに勤めている人が聞いたら、どう思うやろうなあ」と言いました。
私はそんなことには思い至らなかったので、ココロの中で、『ワタシ、ひょっとして、外でもこんなことを言ったりしてるのかしら⁉️』と青ざめました。😨😨😨
実際、過去にそれに近いことは、たぶん何度もやっているので、父はハラハラしていたのでしょう。
そういえば、大学生くらいの時、同窓会か何かが企画されて行き先が嫌だった(たしかボーリングだったか、スポーツ系)私は、同類の友人達を誘って、別の所に行くことにしました。でも、その会に行く人々にも会いたかったので、同じ場所で集合をかけようとして、他の友達に止められました。「役として、せっかく企画してくれた人の前で、集まって違う所に行くって、企画してくれた子に悪いやん?」
言われてみれば、全くその通り😖
しかし、言われなければ気がつかない、というのが、客観性のなさ、なのだと思います。
これが困ったことに、他人の客観性のなさにはよく気がつくので、他人の文句はよく言っていました。自分のことは分かっていないのに❗️
ところが、不思議なことに、同じタイプを引き寄せるらしく、教員をしていると、同じような困ったチャンが周りにたくさん集まってきました。客観性がない、ということは、つまるところ、自分勝手な自由人ばかりですから、明るくて奇想天外で楽しかったのですが、いやはや、毎日大変でした。
今は、……フツウの人のフリをしているので大丈夫です。……と思います。イヤ、分かりません。
少なくとも私の友人たちは、私よりずっと常識人で、フツウじゃないときはたしなめてくれます。
そもそも、全く同じタイプだとずっと一緒には、いられないのです😌勝手すぎて。