進路指導の思い出①
高校教諭としての仕事を思い出していて、進路指導部でのことが印象的でした。とはいえ記録は残していないので論文などにはなりません。しかし、今後、忘れ去ってしまうのも惜しい気がして、中に入らないと知らない世界だから、記憶を書き残そうと思いました。
【教諭採用時】
教諭に採用された平成四年、希望を取られたわけでもなく、ただ空いているという理由で進路指導部の就職担任のサブになりました。
「就職の部屋付き」とか「就職指導室常駐です」とか言われて、「何ですか、それ?」と尋ねたのを覚えています。常駐、意味はわかりますが、何するの?と思ったのです。
【就職指導室常駐】
進路指導部は、1階に進学と就職の部屋を持っており、進学指導室はひと教室分、就職指導室は4分の1の大きさでした。
就職指導室には、応接セットと、事務机4〜5台の島と、壁際に書類ロッカーと事務室用水屋キャビネットがありました。その部屋に、進路指導部長、就職担当主任の就職指導主事、私と同じ年に入った年配の常勤講師の女性がいました。
私を含めた4人は、2階の大職員室にも机がありましたが、三国丘にいた時のようにそちらに本棚を据えたら、「顔が見えなくなる!」と叱られました。なので、その年度は教科の本を基本的に就職指導室に置いていました。
【ガイダンス】
就職主担(就職指導主事)が、就職指導室での仕事を全部説明してくれました。
来客が多いこと、バブルが崩壊して、今年(平成四年)は採用数は大丈夫だが、来年は激減すること、かつては企業からの手土産の菓子箱が積み上がったことなどを聞きました。
そして、お茶の出し方、お盆や茶托の向き、名刺の出し方(学校で名刺を作ってもらえるのは進路指導部員と就職の外回りをする教員だけです)を実際にやってみせてくれて、きちんとできるかどうか確認されました。
お茶を出す時に「別に膝を付くところまでやらなくていいからね」と言われたのを覚えています。確かに、まさかそこまでと思いつつも、私は親がスカート派(女はズボンじゃなくスカートをはかなければならない、というので身体を壊すまでスカートでした)だったので、助かったと思いました。お盆を置いてもしゃがむのは大変ですし、しゃがむ時にチラッと下着が見えるからです。実際、企業などで、洋室なのに応接セットの横で膝をついてお茶出しをする秘書や事務の方を見て、本当にするんだ、と思ったものです。
就職主担は、学校長から就職指導主事を任命されて、職安(ハローワーク)の仕事を請け負って就職斡旋をするということを教えてくれました。高校生は、ハローワークに直接行っても仕事を斡旋してもらえません。学校が指導することになっています。
【来客対応】
授業の合間の空き時間に、企業の方が来られたら、事務室前まで迎えに行き、就職指導室に案内してお茶を出し、会社の概要や採用予定などを伺い、就職した卒業生の動向などを聞きました。
来客が被った時は進学指導室の応接セットを利用しましたが、あまり記憶がありません。それよりも、来客があるときは昼食を常駐の部屋で食べるわけにはいかないので、大職員室で食べたのですが、一度、健康診断の時で、年配の先生から恨み言を言われました。40歳以上は血液検査で検査まで絶食だったのです。こちらにすれば、昼休みは生徒を呼んでいるので、午前中の空き時間に食事していたんですね。恨まれても怒られても、しっかり食べていました。
【就職指導の最初】
昼休みと放課後に生徒を呼んでヒアリングをしていました。台帳があって、それを見ながら就職の志望動機や就職したい仕事について尋ねるのです。今でこそ履歴書に本籍を書きませんが、少し前まで書かされていましたし、内定すると社用紙には書かされるということで、本籍の都道府県も書かれていました。日本全国津々浦々、という感じで、さすがに松下や三洋のお膝元、だと思いました。
その学校は、女子が多かったので、就職主担が女子を担当し、サブの私が男子を担当しました。男子97人でしたが、縁故就職などで辞退者がいたので94人ぐらいになったと思います。女子は130人超だったかと思います。