兵書『孫子』ー君は戦争を知っているか?⑥
昔、戦記を読んだ時に、天候不良による不作で軍に入れば食事が十分にできるからと兵を志願した人もいたとあったけれど、太平洋戦争中には補給を切られ、ガダルカナル島は「餓島」と言われた、とか、アメリカ軍の捕虜になった人が、アメリカ軍はアメリカから十分な食糧だけでなく、アイスクリームまで持ち込んでいて国力の差を感じた、などと書かれていて、国の財力の違いを感じたものです。
孫子の時代でも、戦争をする際に問題になるのはやはり、耕作をせず、たくさんの食糧を毎日消費する兵士たちや兵馬、そして高い費用のかかった装備や武器がどんどん消耗して、新たに必要になるその費用をどこから賄うのか、ということでした。
『孫子』第二 作戦編(4)
【本文書き下し】
善く兵を用いる者は、役は再びは籍せず、糧は三たび載せず。用を国に取り、糧を敵に
因る。故に軍食足るべきなり。
国の師に貧なるは、遠く輸し、遠く輸せば則ち百姓貧し。
師に近きは、貴売し、貴売すれば則ち、百姓は財つ(立+曷)く。財つくれば則ち丘役に急にして、力屈し、財中原に殫き、内は、家虚し。
百姓の費、十に其の七を去り、公家の費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十に其の七を去る。
故に智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは、吾が二十鐘に当たり、き(草冠+忌)稈一石は吾が二十石に当たる。
【現代語訳】
上手く軍を動かす者は、兵役は二度も命じたりせず、食糧は3度も徴発しない。費用は国から取り、食糧を敵から取る。これによって軍の食糧は十分にできる。
国がいくさで貧しくなるのは、遠く運ぶからで、遠く運べば、人々は貧しくなる。
いくさが近ければ、物の値段が高騰し、高騰すれば、人々の財が尽きる。財が尽きれば、軍の徴発は厳しくなり、力が弱まり、財は国の中央で(国家財政が)尽き、国内は虚ろになる。
人々の家計費は、七割(六とする本もある)持ち去られ、国費は、戦車の破損や馬の疲労、甲冑や弓矢、戟や盾、矛、櫓、里に割り当てられた牛や大車などに、七割を取られる。
このため、智将はできるかぎり敵から食糧を調達する。敵の穀物一鐘(50リットル)を調達するのは、吾が国の二十鐘に相当し、豆殻や藁(牛馬の餌)一石(30kg)は、吾が国の二十石に当たる。
☆評釈☆
兵役と食糧・費用の問題を、戦場の遠近に関して、それぞれ説明している。
『孫子』の場合は、古代中国で概ね地続きの中で戦うこともあって、自国の消耗はできるだけ避け、敵国の消耗を図る。
このため、食糧は敵から取ることを推奨しているが、しかし、それはとりもなおさず、掠奪を意味する。
定時制でこの部分を説明した時、皆、血の気のひいた顔をしていた。
ただ、少し驚いたのは、昭和七年生まれの父より約十歳下の方が定時制高校に生徒としていらっしゃったが、大阪大空襲や東京大空襲をあまりご存知なく、「日本への空襲とパールハーバーとを比べてどちらが被害が大きかったか」と尋ねられたことだった。
大阪はデパートの心斎橋大丸とそごうのビルを残して一面丸焼けになった写真があって、私は新聞やパネルで何度も見たが……。
酔った父親から食事中に、堺空襲で焼き出されて疎開した三重の田舎で、田んぼ道を歩いていると、しょっちゅう機銃掃射を受け、田んぼに飛びこんで隠れたが、低空飛行をするアメリカ兵がニヤッと笑ったのが見えた、撃たれた友人が死んだ、などの経験談をしばしば聞かされたのはあまりいい思い出ではないが、自国のことを知らない、というのは驚きでしかない。ひょっとして、中国北部や台湾や韓国を占領していたことも知らない?
因みに母は、戦争中に小学生(国民学校)だったが、米を作っていても供出するので蒸したサツマイモはもう見たくないとか、松根油やら何やら供出として学校に持って行った、とか、御真影の前で帽子を取らなかったら教員から殴られた、という話をしていた。
まあ、私も御真影がどのように飾ってあったのか、何度聞いても忘れてしまうのだが。奉安殿にあって直接は見えない、という話だったと思う。
父が亡くなった時、叔母から堺空襲に遭う前から、タクシー会社を経営していた父方の祖父は自動車を供出させられ、またガソリンもなく、仕事もなく、高野山の親戚の寺男みたいなことをしていた時期がある、と聞いた。父はその高野山時代のことは全く話さなかった。ただ堺空襲の時の話と、学徒動員ばかりだった旧制堺工中学から、疎開して三重県の旧制松坂工中学に転校した頃の話だけをしていた。