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「適当に流すこと」は悪いことじゃない

雑談がストレス

さらっと会話すること。ものすごく疲れます。
要は「雑談」のことです。毎日一緒に過ごす夫や、一回限りしか会わない人との雑談は全くストレスを感じないのですが、夫の家族や職場の上司、同僚、さほど仲良くない人との会話は、その時間が長ければ長いほどしんどく感じます。
(その後、カフェで一人タイム必須です☕️)

先日、世代や価値観の違いについての記事を書きました。

きっとこれからも避けては通れないであろう価値観のズレ。自分も年齢を重ねるにつれて同じように思われることもあるだろうという自戒も込めて、私なりの考え方やスタンスを書き留めておこうと思います。

「過去」は得意分野

例えば義母はもう60歳近い年齢です。当然、「今まで生きてきた時間(過去)」のほうが、「これから生きる時間(未来)」よりも長いわけですよね。
となると、会話の切り口は基本的に「過去の経験」がベースになります。

私:「12月に北海道旅行に行ったんです。北菓楼のシュークリームを食べたのですが、ちょっと気分が悪くなってしまったんですよね…。私、実は生クリームがあまり得意ではなくて…」→話を遮られる
義母:「え〜!!私は甘いもの昔から得意なの。大得意!北海道行った時も〇〇と〇〇を食べてね。あ、有名なあのお店行った?」

…とこんな具合(笑)義母の頭の中には、私が北海道に行ったことよりも、「自分が過去に行った北海道の経験」が会話の切り口であり、私がどこに行ったとか、何を食べたかとかの話は続かないんです。これを単に「相手の話に興味がない」とか「コミュニケーション能力が低い」で片付けることは簡単ですが、もう一段深く考えてみたところ、「過去が自分にとっての得意分野」だからなのだと思うことにしました。

誰しも自分の得意な分野で会話をしたいし、様々な経験を乗り越えたことを強く語りたくなる気持ちはとってもよくわかります。でも、「あ、今自分の経験をベースに喋っているな」という意識が頭にないと、相手にとっては「いや、そんなこと別に聞いていないんだけどな」と思ってしまうことはよくあることだと思います。

過去のデータベースにない情報は受け付けない

こういう人にとってはきっとつまらないんですよね。自分が知らない話題を持ち出されることは輪に入れないし、会話できない。孤独を感じる。だから自分の過去のデータベースにあることを起点に喋りたい。そしたら会話することができるから。

仕事のことも「自分が聞いたことあること」ならわかる。知っている会社名や職業なら安心。だって自分の過去にデータもっていますから。でも、そうじゃないものは分からない。多様な働き方や価値観を伝えたところで溝は深まるだけ。だって知りませんから。理解できないですから。そして何より、「その話題はつまらない」ですから。

私がもっと嫌いなのは「会社員を辞めることはもったいないと思う」とか「あの大学を出てるからすごい」とか、自分の偏ったエリアの中で知っている情報だけをもとに相手の話を自分の価値観でジャッジしてくること。思っておけばいいのに、口に出してしまう。それが余計だということに気付いていない。知らないのであれば知らないでいいのに、なぜか自分の価値観の範囲内で納得し、安心したいのだ。

自分が知らないことを認める、理解できなくても話を聞くということが年齢とともにできなくなってくるんだろうなと感じます。(そうじゃない人ももちろんたくさんいます!)

個人的にはこれが会話のズレが起こる理由かなと考えました。
なので、真剣に話を聞いていたら「??」と思うことばっかりなんですよね。こちらもストレスが溜まってしまう。だからこそ、「雑談」が苦手なんです。最初は気が付かないです。でも話しているうちに、「しんどいな〜」と感じる時は、往々にしてこういう現象が起きている時だと思います。

「よかれと思って」は大概迷惑

お願いをしていないのに昔のアルバムをもってきたり、お土産にと手料理を作ってくれたり。いいんですよ。感謝はしております。ただ、「よかれと思って」って、多くの場合迷惑なことが多いんですよね。(すみません🙇)まずは聞いてくれたらいいのにと思うのですが、これも「得意分野」ですもんね。自分にしか知らないことをあなたにも聞かせてあげたいという気持ちが本当に迷惑で、そっとしてほしいなと思ってしまいます。

これは私も本当に気をつけようと思っていて、「本人が言っていないことは探らない、聞かない、介入しない」は真理だなと思いました。知りたい時はちゃんと相手の状況を理解した上でお伺いしよう。

深い「内側」で会話をしたい

私が仲良くなりたいなと思う人は、その方の「内面」を知りたいことがほとんどです。そしてそれにはとっても時間がかかる。だからこそ表面的な会話を続けなければいけない状況は本当にしんどいな〜と思うし、早くこの状況を抜け出したいと願ってしまう。

その点、noteで繋がっている方はどこに住んでいるかも性別も年齢も分からないけど、だからこそ心地がよいです。自己紹介がなくても、バックグラウンドが分からなくても、その方から生み出させる言葉には体温が籠っているし、表情や身振り手振りがなくても十分伝わるからです。

適当に流すことを実践していきたい

とはいえ、現実世界では考え方や価値観の合わない人と話さなければいけない場面も多くあります。今回の帰省から学んだことは、こういう人はとにかく相手の得意分野を話させておけばいいということ。相手に自分の話を聞いてもらおうとか、分かってもらおうとするだけ時間がもったいない!自分の話に巻き込まれそうになった時は、「知らないんです〜」「分かりません〜」でさらっと流そうと思いました。

でも、たまにそういった話の中からも面白い話も聞けることもあるので、
9:1くらいの割合(適当に話を流す時間:面白い話を聞けるかもしれない時間)で考えておけば気持ち的に楽かな〜と思っています。

年齢を重ねるごとに、人は未来より過去に執着したくなる。そういうもんだと頭の片隅でわかっていれば、相手の話も自分の話も、少しは俯瞰して見れるようになるかなと思いました。

っとこんなことを考えてしまうのも、やっぱり雑談をしんどいものにしている原因なのかもしれません(笑)

今週も穏やかに過ごせますように〜!🌷





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