夢日記 #1(2022/03/01)

たまには夢の話を。

その日はよく晴れた平日だった。
この季節にしては暖かく、窓から入る陽は明るい。
穏やかな気候と同じように、何もない平凡な1日だったらよかったのに。

彼と私は遠距離恋愛をしていて、会う時はいつも、私の1Kのこぢんまりとしたアパートの一室か、彼の下宿先で何日間かのお泊まりをする。
仕事がテレワークであるのをいいことに、私の家に泊まるときは、平日も家で一緒にお昼を食べたり、休憩でお茶を飲んだりしながら過ごしていた。

11時45分。
「ねえ、お昼どうしようか」
パソコンに向かいながら、ベッドでスマホをいじる彼に話しかける。
「うーん、僕何か買いに行こうか」
あいにく今日は午後から会議で、昼休みの短い時間で外食するには少し時間に余裕がなく、何か作ろうにも、二人分の食料は冷蔵庫に入っていない。
彼の申し出を、ありがたく受けることにした。
「国道沿いに吉野家とピザーラ、駅前にスーパーとかあるよ。
 適当に好きなもの買ってきてもらえる?中華以外ならなんでもいいから」
「わかった」
寝癖を気にしながら、彼は家を出ていった。
お昼を告げるチャイムと、洗濯機を動かしているのか、床が小刻みに揺れるような音が窓越しに聞こえる。
彼に、エコバックを渡すのを忘れていた。

12時15分。
ピンポーンと間抜けなチャイムが鳴った。
そうか、彼に鍵を渡しておけばよかったな。
それにしても、やけに早い帰宅だ。お腹空いてたのかな。
玄関のドアを少し開けると、それを待ち構えていたかのように勢いよくドアが開いた。
陽の光が眩しく玄関に差し込み、散乱した靴たちを照らした。

そこに立っていたのは、彼ではなかった。
「お昼、一緒に食べませーん?」
下卑た笑みを浮かべた男が、私の家に足を踏み入れようとしていた。

咄嗟にドアを閉め、チェーンをかける。
ドンドンと、愉しそうにドアを叩く音と、誘う声がしゃがみ込んだ私の頭上から降りかかる。
「いいじゃないっすかあ、今彼氏さんもいないんでしょお?」
少し見ただけでも、男の目は今まで会った痴漢たちやナンパたちと同じ色を纏っていながら、一番の狂気を孕んでいるように見えた。
今だって、このよくわからない現状を、心から楽しんでいるような声色だ。
力が入らずに体重を預けているドアが、急に脆く、頼りなく感じた。

どれくらいそうしていただろう。
男のけらけら笑う声は、ドアの前から少し遠ざかっていった。

12時30分。
2回目のチャイムが鳴った。
きちんと小窓から確認すると、今度は本当に彼が立っていた。
彼にさっきの出来事をどうやって話そう。
そんな人が住んでいるかも知れないこの家から早く出よう、と言うかもしれない。

ドアを数ミリ開けた時、ドタドタと足音が聞こえた。
ドアを数センチ開けた時、彼の腕を掴む別の腕が見えた。
ドアを半分開けた時、あの男の上がった口角が見えた。
ドアを全て開けた時、男が彼を連れ去っていくのが見えた。
私は恐怖で口を開くことも出来ず、ただ瞬間隣の部屋に彼が押し込まれていくのを見ることしかできなかった。

どうしようどうしよう、どうしよう。
また、玄関にしゃがみ込んで顔を手で覆った。
こんなこと、人生の中で一度も経験したことがない。
もし、あの男が刃物や薬を持っていたら?
目的は一体何なのだろう。私が何か、したのだろうか。
今まで隣人を一度も見たことがなかったので、あの男が何者なのかすらわからない。
あの時私が出ていたら、彼が酷い目に遭うことはなかったのだろうか。
だとしたら、今からでも隣の部屋に・・・。

混乱しきった頭で逡巡した結果、震える手でスマホの緊急通報のボタンを押した。
どうか彼が無事でありますように。
「もしもし、あの、彼が」
「はい、落ち着いてくださいね〜」
やけに間伸びした話し方をする、初老と思しき警官が電話越しに私を宥めた。
「多分、男性に、襲われていて、あの、今頃どうなっているか」
「はあ」
「助けてください、すぐに来てほしいんです」
隣の部屋からは、ずっとガタガタと言う音が聞こえる。この音は、洗濯機の音ではなかったのか。
「いやあ、こんなおじさんですしね、止められるとは限りませんよ
 やれるだけやりますけど、今交番に一人ですし」
なんて頼りない警官だろう。責任感もない。
今まさに彼がどうなっているかわからないというのに。
ずっと聞こえていた音が止んだ。
「とにかく早く来てください!住所はーー」

突如、コンコンと、ベランダに面した窓から音がした。
はたして、外に立っているのは、彼か、あの粗野な男か。
彼はどうなってしまったのか。

スマホを片手に、恐る恐る窓のカーテンをめくるとそこには、
ぐしゃぐしゃになったピザの箱を携えた彼が、少し顔を腫らして立っていた。

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