末日
ベランダにそって置かれたベッドに腰掛けて、扉を開くと冷えた風が入ってくる。
彼女はやっぱりここにベッドを置いて正解だったと思った。
大好きだった友人から貰ったライターで火をつけて煙を吸い込む。
身体に合わないのか、お酒に酔った時似た浮遊感を感じてベッドに倒れ込んだ。
適当に切った髪は流行りのウルフカットになっていて気に入っている。
叔父に似て、真っ黒の髪と、白人のような白い肌は吸血鬼や死神のようでなんだかんだそれも彼女は気に入っている。
あの異常者がこの世から消えて2ヶ月が経った。
あいつに煩わされてきた10年間を思うと本当にせいせいするが、あんなに優しい父に何かをさせてしまったのでは無いかという不安からか、唇の横の切れたところを齧る。
あいつはいつも追いかけてきた。
小学生の頃から始まった迷惑行為は、段々と歪んだ熱を持ってへばりついてきて彼女を心から蝕んだ。いつの間にか夜も怯えるようになって、ただでさえいつも言葉が溢れる脳内をさらにうるさくした。
めずらしく趣味の合う、読書好きの友人から勧められた本は、動かない四肢を切り落とす医師の話で、それを勧めてきた彼は今、仲間とツーリングを楽しんでいるようだ。
読み終えた小説の感想を軽く送ったあと、お気に入りのエドガー・アラン・ポーの小説を読みながら、丸く作られた氷にウイスキーを入れて、舐めるように呑んだ。
煙で軋んだのどに、アルコールが染みて胸の奥が熱っぽくなる。寒いはずの頬が暖かくなるこの夜の時間を好きになれたのは、去年のクリスマス以降だ。
近所の公園で従姉妹が殺されたと聞いた時、ある計画が頭に浮かんだ。犯人は現場に戻るという。彼女には、その犯人がきっとやつであるという予感を持っていたが、これが絶対にやつであるという確信に変わるのはすぐだった。
彼女は叔父に似て勘が鋭い。きっと、彼女を見張るために近所の公園にいるところをあの正義感の強すぎる従姉妹に見つかって、問い詰められたに違いない。
実際彼女は、その日従姉妹を家に呼び出していた。2人は共通の秘密を持っており、それにより強い絆を持っていた。
だから、従姉妹は自分に会うことを誰にも言って居ないだろうということも、ほとんど確信していた。
そこからは簡単だった。証拠を与えてやれば良い。匿名で怪しい人物がいた事を通報し、おそらくあいつだと告げる。ストーカー被害で訴えた時大した事にはならなかったが、今回は人が死んでいる。
彼女は計画を実行する。ついに実行するのだ。
汗ばむ手を武者震いする脚を抑え、ゆっくりと歩く。ウルフカットにした髪型は、下部分を結ぶとショートカットにしか見えなくて、変装するにはちょうど良かった。
あいつの住んでいるところを突き止めた。
あいつの学校を突き止めた。
あいつの両親の職場も突き止めた。
あいつの妹が通う場所は全て突き止めた。
そうして全員に言って回る。あいつは殺人犯です。最近事件があったでしょ。警察が見てますよ。
あいつ以外の全員があいつを疑う。疑えば疑うほどやること全てが怪しくなる。ついに1ヶ月後、あいつの部屋から従姉妹が燃やされたのと同じガソリンが、燃やすために使われたであろう量が減った状態で見つかった。
あいつは簡単に自白する。障害を持つ自分が重い罪には問われないことを知っているからだ。そういう狡さをあいつは忘れない。
そしてそこからが計画の大詰めだ。
ストーカー被害者であった自分のところに形式上来た警察に向かって言うのだ。
怖いからできるだけ遠くの病院にして欲しい。例えば𓏸𓏸閉鎖病棟とか。
ここには彼女の父がいる。妻と二人の娘に迷惑をかけまいと、心の病んだ自分を病院に入れ、あまつさえ戸籍すら抜いた優しい父が。
警察もそこまでは調べない。あそこは割としっかりした大きな施設だから、きっとそこに行くことになる。後は父に話をしに行こうと思っていた時、叔父から電話が来た。
父に会いたいという。
彼女と叔父はどこまでも似ている。
もちろんと答えて電話を切った。
父は優しい人だ。たとえ壊れていたとしても。
彼が居なくなったおかげで歯列矯正もままならなかった妹だけが気がかりだったが、妹は最近よく笑うようになった。
新しく出来た恋人のおかげらしい。
従姉妹と行っていた行きつけのバーにも行きづらくなった今、自分に恋人ができるのは何時になる事やらと思った。
唇の端にウイスキーが染みる。
鉄の味がするからきっと切れている。
彼女は大好きな親友がその華奢で綺麗に磨かれた爪の付いている手で、直接リップクリームを塗ってくれる時間が1番好きだ。だから自分では買わないことにしている。
我ながら忠犬のようだと思っていた時、隣人が呼び鈴を鳴らした。
『卵買いすぎちゃって』
ショートカットが良く似合う美人からの卵を彼女が断る訳もなく、ついでに一杯いかがですか?と誘って部屋に入った。
やっぱり今夜も悪くない。