ヒカリのタキ

整頓されているようで、入り組んだビル群を規則正しく歩いて行く。
都会に押しつぶされて生き残れなかった、今はもう低くなってしまったその塔に私は登る。
コツはいるが、その建物は珍しく屋上に上がることが出来た。
ここはまだ誰にも見つかっていない『幽霊の出る廃ビル』になる場所だ。きっと、いつか『そう』なる。自殺志願者なんていっぱいいるのだから。
それまでは私の場所だ。

一番最初の幽霊に私はなるつもりはないけれど、毎回ヒヤリと一度は汗を垂らしながら屋上へと上がる。
このドキドキする感じがたまらない。
前にテレビで見た、世界中の危険な場所で綱渡りやらスカイダイビングをする人達はこう言う気持ちなんだろうと思う。
あそこまで大々的に派手にしようなんてこれっぽっちも思わないけど。

夜の都会は眩しい。
眠らない街、と昔の人が表現して、今も誰も否定していない。
そんな夜を忘れた街を眼下に、そして頭上に、私は見る。
この時だけは、私の目は拡がっていく。
昼の閉ざされた日常よりも何倍にも世界が。


 

突然、ドサリと背後から音がした。


急速に世界は閉じていく。
私はその音がした方へと警戒しながら、しかし動揺を悟られ無いようにゆっくりと振り返る。

若い、男だろうか。よく見えない。
あんなにも眩しいと感じていた都会の光は、その人物を照らしてくれない。

「……こんばんは」

「こんばんは」

不審人物には先に挨拶しましょう。なんて言葉が、後から私の頭に浮かんだ。とても落ち着いた声で返されて少し戸惑う。

その後はお互い無言でしばし見つめ合った。

「あー……ここで何してるの?」

考えて、考えぬかれた言葉に、ピンとくる。
この人は私が自殺しようとしていると思っているんだ。
だからあえて、からかう事にした。手をビルの外へと差し出しながらにこやかに言ってみた。

「先にお使いになりますか?」

「使わない」

……怒らせてしまっただろうか? ピシャリと拒否される。真面目な人だ。

「大丈夫ですよ。私も使いませんから」

錆びた手すりを握りしめ、屈伸しながら言う。真面目な人なら、背中を見せても襲われる事なんてないだろう。

距離は離れているが、疑われているのがわかる。
私は苦笑しながら置いてあった荷物を片付ける。

「ホントに大丈夫ですよ。私には夢がありますからね」

「……どんな?」

「もう語り尽くせないほど沢山あるので。100個くらい」

「それは多いね」

「そうですよー。コンビーフ食べるとか、パンプス買うとか、ダンスをするとか、小説書くとか、リフティングするとか……」

「小説?」

「……そこに食いつきますか」

何故かその男はしまったという顔をした。小首を傾げて見つめると観念したように言う。

「僕も小説を書くんだ」

「え! ホントですか!? 見たい!」

グイグイと距離を詰めると、男は少しづつ下がっていった。これじゃぁこちらが襲っているようだ。

男の眼前まで迫るとようやく観念したのか、スマホをイジって渡してきた。
なるほど、こういうサイトに投稿してるのか。
いくつもの短編小説が並んでいたので気になった題名のものから読んでいく。
エッセイもあるのか。エッセイ苦手なんだよな、なんて思ったのに……私は夢中で読んだ。目の前で自分の小説を読まれるという気恥ずかしさは知っていたが、やめられなかった。

こんなに真面目そうな素振りをして、この人は小説の中でなんて面白く語るのだろう。

才能なんて言葉でくくるのは失礼だから使いたくないけれど、間違いなく才能のある人だ。

「すごい!小説家なれますよ!絶対!」

私は男のスマホを握りしめながら叫んでいた。

「まだ、書きはじめて4カ月だよ」

照れたように笑うその顔に、まるで殴られたような衝撃をうけた。
触れられる距離に天才がいる。
そうか、都会はそういう場所か。

「私は中学の頃から書いているので、もう5年になります。でも、こんなに面白いものは書けません」

「……見せてよ」

「嫌ですよ。それに書いたら捨ててますし」

「随分勿体無い事するね」

「あれこれしていると、よりはっきり見えるんですよ。自分の未熟さが」

「誰だってそうだよ」

「まぁねー、そうなんでしょうねー。でも」

「でも?」

「やっぱりどうしようもなく恥ずかしいので過去の私には死んでもらうのです」

私は鞄から取り出したシュレッダーにかけられた紙くず達をビル風に飛ばした。

バラバラと男と私を取り囲みながら舞っていく夢の残骸。

「これは貴方が小説家になる前祝いの、祝福の、紙吹雪です」

男は多分、ゴミになるだろうとか、言葉がおかしいだろうとか、そういう事を飲み込んで笑った。
言いたい事はきっと、小説の中で語るのだろう。

「ああそうだ。さっきのサイト、フォローしてもいいですか?」

「もちろん」

一人の男が小説家になっていく姿を見守っていけるなんてなんて贅沢だろう。

また一つ、私の夢が増えた。

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