時間旅行
添乗員という名の監視員になって初めて、私は客の命を奪った。過去を変えようとする者を止める、必要なら銃を使ってでも。正当な業務遂行だ。だが女の死体を前に、私は自分に問うた。後悔しているか。何を? 女が過去を少し変えるのを見逃したことか。それとも、その後で撃ったことか。
立場上でも、心情でも、客に肩入れする事などありえない。職務を全う出来る者が添乗員として選ばれるからだ。
ならばなぜ、私は。
女の事は始めから目を付けていた。覚悟を決めた目線で窓の先を見ている。こいつはきっと何か仕出かすに違い無い、そう監視員の勘が告げていた。だから今日はいつもより乗客に話しかけた。そして常に女の見える場所にいた。
「お元気が無いようだ。どうされました?」
「いえ……あ、この年代の服って重たいのですね。慣れなくて」
「ええ。生地にポリエステルを使っているからですね」
「へぇ……」
「何か他に着られる服があるかも知れない。 注意事項や案内をお持ちしましょうか?」
努めてにこやかに、私は『注意事項』という単語を口にしてみた。
時間旅行には沢山の契約や義務がある。それこそ洗脳のように何度も繰り返し聞かされるのだ、罰則についてを。
案の定、女の肩はぴくりと震えた。
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この時代の市営のバスに似せたタイムマシンの一部を切り離し、そのまま過去を走る。
景色に最早感慨は無いが私は客に合わせて笑顔を作った。ガソリンエンジン車のアスファルトを削るような揺れは嫌いだが、今日のような3世代家族の幸せそうな声を聞くことは嫌いではない。
「自由行動の際は買物は出来ません。後ほど案内する専門店にてお願いいたします。飲食物もこちらで用意しておりますので、」
決まった文面を決まった口調で読み上げる。なれたものだ。スラスラと出てくる。
さて、と。私はもう一人の添乗員に目配せをしてから女を追う。別にコソコソとする必要はない。私が近くにいる事を分からせれば良いだけだ。
女は意外にも一度こちらを見止めただけで、後は迷い無く歩みを進めた。目的地が遠いのか。時間が無いのか。大通りを避け、人気の無い道を突き進む。
そして、ある一人の男とぶつかった。
派手に荷物をぶちまけて、お互いに謝り合う。良くある光景。緊張しながら見守る私だけが異質だった。女は和やかに男と話し、くるりと振り返ったかと思うとバスへと歩きだした。
女の晴れやかな顔とは反対に私は路地裏で冷や汗をかいた。
何が起こった?
女は何をした?
なぜ、あんなにもやり遂げた顔をしている?
「待ってください」
私は思わず、男へと声をかけた。掌を握り、相手に突き出すように見せつける。私の存在を思い出し、今度は女が緊張した面持ちでこちらを見る。
「これも、落としませんでしたか?」
男は首を傾げながら私の方へと近づいて来た。男が私の広げた掌を見ると途端に一切の動きを止める。掌に乗せられたこの催眠装置にこの時代の人間は抗う術を持たない。手早く財布から身元を調べられる物を探し、データベースを参照する。手首のチップがある時代なら簡単なのに、と、やはり毎回考えてしまう。
「犯罪歴、無し。現在の時代との繋がり、無し。……この人は、君の祖父か」
確かめようと女を見ると青褪めた顔をして、自分の腕を見ていた。何をしているのかと眉をひそめたが、私もその腕を見て青褪めた。傷だらけだった。
「何をっ」
急いで女の手を取る。手当をしようと良く見ると、どれも古傷だった。現在の医療ならば綺麗に治るであろうその傷が示すものは。
「どうして、消えないの……」
「いったい誰に……?」
「父よ。この人の、確か三男だったかな」
諦めたように女は語り出した。私の手を振り払う事も無く、寧ろ縋るように見つめてくる。
「言うのも悍ましいくらいのクズだった。私にも兄弟がいるのに、異母兄弟も2人いるのよ? 私は1番下で、女だったから、」
「いい! 言わなくていい」
「……ねぇ。産まれてきちゃ駄目なのよ。アイツは。今日、この日お祖母ちゃんと会わなければ、アイツは産まれないはずなの。私だって、生まれなくてすむのよ」
「過去の変更は犯罪だ。殺人罪に当る。例えそれが自分自身でも」
「お願い」
「それは、私《監視員》に言っているのか」
「せめて! せめて、祖父に父を注意するように伝えさせて」
私は、くるりと向き直ると男の催眠を解いた。女は困惑しながらも、私が促すと男に向かって話しかけた。後ろを向きながらも私は耳をそばだてる。少しでも未来に不利益になるような事を言えば……そう思いながら。
「どうして、どうして傷跡が消えないの!」
説得が無駄だったのか、切迫詰まった女の声が路地に響く。人の気配に、私も少し焦りが出てくる。
「なら、殺すしか無いわ」
女は鞄から銀色に光る何かを取り出す。そして男に向かって走る。
街に銃声が響いた。この時間軸の人間には草笛の音に聞こえるらしい。
子供達がはしゃぐ声がした。
「わあぁぁ、」
叫ぶ男に私はまた催眠を施した。足元には小さなナイフが転がる。こんな物で人は殺せないだろうに。
「ありがとう」
呟いた女を見つめる。すでに息は無いはずだった。私は後処理を義務的に始める。……随分と手のこんだ自殺だ、と思いながら。
感謝される事など何も無い。彼女の存在が消えなかったのも、傷跡が消えなかったのも全ては私のせいなのだ。
そして、彼女の祖父から、今日出会った彼女の記憶を消した。
【終】