「頑張ること」について(なのか?)

   (こんなタイトルのnoteを投稿してしまうと、「(はるやすみ)などと喚く人間が努力を語るな」「試験の嵐に立ち向かってから言え」などと言われてしまうかもしれない。燃やしたり沈めたりする場合、2週間前までにご連絡下されば幸いです。)

    多くの人にとって大学とは少なからず有意義な場所であり、学生は様々な物事を吸収することができる。
    例えば私は前期教養学部で「二外演習で当たりにくい席の選び方」「『君のクラスTwitterで有名だよね!』と声をかけられた際の対応法」「学食の玄米オムライスの美味しさ」などを学び、教養人としての一歩を踏み出した。また内定先の学科では「Slackを使った楽しい誕生日の祝い方」「学科同期の顔が分からないときのやり過ごし方」「飲み会で美味しいおつまみを作る方法」等、多岐に渡る内容を学修している。素晴らしきかな、リベラルアーツ。
 そんなわけで概ね楽しく大学生活を送っているものの、この2年間ずっと思っていることがひとつ。「いや、(少なくとも弊学の)大学生、追い込まれすぎだろ」 
 私がのんびりと学食のチーズいももちを堪能している間に、「実績がない……」「成果を出さなきゃ」「勉強とサークルとバイトと恋愛の両立が……」といった悩みがそこかしこに転がり始めた訳である。いやマジかよ。大学生活、そんな十種競技みたいな感じだったか? 
 大学入学後1年とか2年とかで目を見張るような成果を出せることは基本ないし、学業とサークルetc.を全部こなすのは大多数の人にとって(身体をいくつかに分割できない限り)無理ゲーである。……と思っているのだけれど、私の観測範囲内では「もっと頑張って結果を出さなければ」という謎のウイルスが大流行している。残念ながらワクチンはなさそうだ。                       

 似たような状況は、実は高校時代にも経験している。寝食を忘れて行事に打ち込む生徒も少なくない学校だったが、大学受験への向き合い方もあまり変わらない。平日と休日の目標勉強時間が掲げられ、「食事と風呂を削ろう」「受験も部活も二刀流」等の発破が掛けられる。
 残念ながらそういった戦略を取るタイプではなかったのだが、結果としてそれなりの圧力が待っていた。「勉強しないから落ちる」と教員に名指しされ、「10時間勉強してないの??」と同級生に驚かれ、家に帰れば「受験生でしょ?見てるとイライラするんだけど」。昔「24時間戦えますか」なんてCMがあったらしいけど、その半分、いや4分の1も戦えなかったのは自分のダメさ故だろうか。「もっと頑張らなきゃ」が「頑張れなくてごめんなさい」に変わるのには、それほど長い時間は必要ないと知った。 

                                 

 ……などと書いてきて思ったが、こういった「頑張る」ことを称揚する風潮は別に学業etc.に限った話ではなさそうだ。
 例えば美容。質問箱に「頭いいんだからメイク研究したら?そしたらもっと可愛くなれるんじゃない?」なんて余計なお世話を突っ込まれたのは遥か昔の話だが、「人間は美しくなりたがっている(そしてそのために努力を惜しまない)」という前提は巷に溢れているらしい。勿論可愛い/カッコいい自分になれたら嬉しいけど、「私は今他の事に興味があるから/そんな余裕ないから」って時もあるじゃないか。頑張れば青天井に美しくなれる世界では、「見た目の良し悪しは自己責任」「努力を怠るのが悪い」といった言説が市民権を得ていく。もう人間やめて猫になりたい…あ、でも猫の世界にも猫基準の美醜があったら嫌だな。

 こんなことを言っていられるのも、自分がかなり良い環境に居られる証左だと思う。打ち込める物事が周りに沢山あって、きちんと頑張れば様々なスキルを得られる環境(得てないけど)は、今のところ全員に与えられたものではないだろう。
 だけど、選択肢が山ほどある世界だからこそ、「できる分だけやる」ことの重要性が見直されてもいいのかな、とも考えている。「頑張らなければ」という動機で取り組んでいる時点で、その人の心には負荷が掛かっているだろう。だから「全部をパーフェクトに」と頑張りすぎると、人間だって萎れて枯れてしまう。小学生の私が日当たりの悪い実家で育てようとした、理科の宿題のトマトみたいに。そして、枯れて黄色くなったトマトに実をつけさせるのは、実はとても難しいことだったりする。
 人生はそれなりに長いから、心身の残機でも持っていない限り持続可能に生きていった方がいい(これは私の価値観だけど)自分の持てる分しか荷物を持たないこと、居心地の良い場所に移動することは別に怠慢でも何でもなく、勇気ある選択だ。
 あることに普通に取り組んだら100の結果を出せる人がスーパー頑張って120を生み出すのは素晴らしいことだけど、普通に100を錬成してもサボっている訳じゃないし(ここに罪悪感を感じる人は多く観測される)、何なら80や60で止めておいて余裕を作るのも、結構心豊かな生き方だと思う。
 作った「余裕」で何をするかもその人次第だ。他の事に夢中になってもいいし、空をぼーっと眺めていても、なんなら何もしなくてもいいと思う。六畳一間のワンルームで、「頑張れなくてごめんなさい」と言いながら潰れていくよりずっとずっと良い。
 ここまで読んでくれてありがとう。ひたすら頑張るのも素敵だけど、主観的に自分自身を幸せにすることだって、中々できない偉業だよ。

 

 



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