書きつづけることのその先へ
書きつづけることが毎日の過ごし方の一部になりつつある。noteでの投稿や手帳に書くことがわたしの中での書きつづけるホーム。
書くということは、書きたいと思える何かがあるわけで。毎日のなかでこんなにもたくさんの想いを抱えていて、考えていることにびっくりもしてる。
もし書かないときがあったら、違和感がある。というよりも、自分の中の想いが出口を求めてしまう感覚になるんだろうな。
毎日書きつづけることの楽しさは、自分のための意味合いが大きくあったのに。今は書きつづけることに付与魔法効果をつけたくなっている。
それはきっと、この人に出会ったからだ。
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素通りしようとすればできてしまうし。
あえて向き合ったりしたいけど、気づくといつもモヤモヤしていること。ほんの一瞬の心のうごきをキャッチして、なんでだろう?を投げかけてくれる。
落ちこむほど暗さでもなく、眩しすぎる明るさでもない。淡々とした冷たさでもないのに、客観的な視点があって、寄り添ってくれるほんのりとした温かさがある。
ココロの中の想いが言葉にできなくなったら、この人の言葉をあいにいく。
その人が吉玉サキさん。
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今日が吉玉サキさんの毎日更新1周年の日。
おめでとうございますっと、こっそりお祝いしている。
こっそりとフォローしているtwitterで、このコトを知ったとき、驚いた。だって、もう何年も続けていると思っていたから。
それに、毎日更新のルールも好きで。起きてから、眠るまでの時間が吉玉さんの1日。
だからその起きている時間でのひとつの投稿をして、書きつづけている。そのルールが、時計での1日というよりも自分の生きている時間を大切にしているように感じていて好きだなって。
吉玉さんの書いた中で、お守りみたいに読んでいるnoteもある。リーディングリストに保存して何度も読んでいるもの、メモした言葉もある。今、noteで少しずつ投稿されている小説だって、心待ちにしているんだもの。
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吉玉さんの1年目をお祝いしながら、大きすぎる想いを抱いてしまった。
付与魔法をかけて言葉を届けたいな。
こっそりしてるtwitterの流れていくタイムライン。コメント欄でのやりとり。コメントやツイートでnoteの人たちと交流する中で、だんだんこの人好きだなぁっとか、もっとお話してみたいなって。
その中には、わたしのnoteを読んでくれている人もいて。読んでくれる人が、これから読んでほしいなっと思える人が、エッセイやショートストーリーを読んだときにこんな気持ちになってほしいなみたいなもの。それがわたしの思う、付与魔法。
できるかな。できないかな。
わからないのに、してみたいのだ。
それはきっと、noteでの1周年に意味を持たせたいからなのかもしれないな。
吉玉さんに出会えて、またひとつ楽しみがふえた。ふふふ、お会いできたらちゃんと言いたいな。たくさん投稿してくれて、書きつづけてくれてありがとうございますって。
いつも読んでくださり、ありがとうございます♡