write open diving gete

自分に秘めて
その人が
幸せかどうか?

確かに、相手に伝わらなければいみがない。

人は、自分だけでは生きていない。

必要だとされてないなら、
驕りは捨てるべきだ。

誰もが必死に生きているのなら、
生かされている状況は、
相手に何もお返しを出来ていない。

誰かを支える為に、
調べることも大事だし、

誰かに支えてもらうのも大事だろう。

必要なのは、依存しない事なのも
解っている。

ニートとされる者は大体
何かしらの挫折(ざせつ)を背負っている。
「道化になる事は、自分の居場所を作るから」
はにかんだ笑顔で、そう語る
そういうことも、あるだろう…

人の時間を奪わないようにするのは大変だ。
合わせてくれる人がいるから傍に居られるか
その場に居られるから
信頼関係ができる。
その意味では
書を捨てよ町に出ようは、
題名自体は尊い。

物語を考えるなら
救いをもって書くべきである。
それもそのはず、
誰かを支えているのだと、
物語で実感できる人もいるのだから、
ハッピーエンドが望ましい。

苦難があっても、
自分が見つけたものを誰かに渡したとしても
自分が作った証があればいい。

一発逆転はないと考えるべき。
努力家は、誰かが見ているからこそ、
努力家である事を、承認されたもの。

技術がなければ、文章表現も意味を持たないかな……
誰かに読んでもらえる事が大事だと
友人には言われたし、
そういう時もあったが、
承認欲求より、作るべき方向を見失う時も怖いし、
書ききれないでいた事が、
確かに残念になる事は多い。

自力で働けてない意味で、
何の意味もないなら、
誰にも、必要性を提示しようとしないなら、だめだし、
自分ができうる範囲で、働くことは大事なのは、
「机上の言葉でなく、行動で示すべき」
まあ文章表現を練る事を”行動ではない”と言われれば
紡ぐ言葉もない
すだれのようになった髪の向こう側の目は真っ直ぐ見ているけれど
半分は、自信のなさの表れである。

「友達とは何だろうね」
すだれのようした髪を通してであるがその子は
言葉を紡ぐ。

作者不詳二次創作:
モチーフキャラクター:君友ゆるし、ニートあざらし