Vtuberは総合演劇か、ただのアバター配信業者であるか?なんて レッドオーシャン(飽和コンテンツ)の状態だからあえて考えてみる。
過去の記事でも触れている意味で
Vtuberコンテンツはバーチャルリアリティーの世界線のキャラクターアバターコンテンツとしての成り立ちと
声まね主などがキャラクターアバターを着ることによって
コンテンツ形成してる媒体が存在する。
自分の中ではVtuberは演者の部類であると考えているので、
このことに触れておこうと思う
日本の著名俳優兼監督の小栗旬氏が昔のラジオ放送で
俳優とは演技を認めてもらうのが本来で、本人の性格とか個人のプライバシーの問題とか、妻帯者かどうかとかぶっちゃけどうでもいいと思ってもらった方がいいの。そういうのに触れず、演劇をやることを求められてるのが俳優なのだから、俳優、女優の性格がくそだろうが破天荒だろうがフィルムが出来上がることの方が重要でしょう。
まあこういうニュアンスの話をされてたことがあった。
キャラクターアバターの中の人はどうでもいいという意味では
この考え方は妥当なのだろうとおもう。
本人の素が出ていて人間性が好きだ、まぁそういう人もいるんだろうけど
Vtuberは一応の意味で、キャラクターアバターコンテンツだし、
グッズなり、なんなりが売れないとキャラクタービジネスとしては失敗だ。
配信というバーチャルリアリティショーをしてるというならば、そこで行う演技が求められているはずだよな、エンターテイメントとして放送であるならという話である。
中の人間がいい奴でもキャラクターアバターコンテンツは悪人の演技である
が、一応成り立つのがVtuberという立ち位置でもある。
まあこの考え方は、天秤はかりちゃんのパーソナリティで見た
過去のアーカイブ放送内で彼女が言っていたこと、
なんで、現実だとそういうキャラクターは嫌われるのかを考えてほしい。
考える手段に使える演劇としての高みが存在するのではないかな。
と、まぁリアリティエンターテイメントの意味で、
それはキャラクターだからこそできる演技なんだよ。という話。
自分が憧れる存在だとか等身大の自分の写し鏡であるとしてもある意味では理想の自分を演じる。キャラクターとしてのふるまいを要求されているからこそ演劇指向として存在できるのではないかというやつだ。
媚び売ってればスパチャが飛んでくるに違いないとか、
キャラクターだけでもかわいければグッズが売れるに違いない。
これ明らかに無理だよね、バックボーンが一枚岩でプロデューサーがいるなら全体的コンテンツ宣伝という強みはあるが、ほとんどが個人事業主であったり、チャンネル同時接続を争う競争相手であるのだ。とくにリモートライブ配信だろうがその時間を拘束する意味で、リスナーが多窓してるかどうか自体は関係がなく。情報の発信をして興味を持ってもらわなければ。
放送として成り立たない。
コミュニケーション主体だとして、コンテンツに魅力がなければ
のちのちアーカイブで見られることもほぼない。
コンテンツ内容が興味の範疇にあるかどうかが結構重要な意味で
リスナーなり視聴者に興味を持たれなければ、
エンターテインメントの土俵に上がっていることにすらならない。
人によってはリソースの無駄扱いされ
扱いの意味ではアンチなんだろうけど
クオリティー重視型の見方をするユーザーには
明らかにいい顔はされないだろう。
クリエーターとして卵を育てるような見方をするような
過保護な人間ばかりではない。ある一定のクオリティは求められる。
派生コンテンツとしての二次創作でもクオリティーがなければ
必要悪だとか絵としての存在は必要ないだとか
作らない消費者からすればクオリティーこそが重要課題で
追いかける意味では有難迷惑だという捉え方はある。
一次創作者であるならば 余計にそれは求められる。
あえて書こう。
鳴神裁はVtuberコンテンツである。
炎上マーケティングVtuberである。
無能な新興宗教の教祖Vtuberである。
自分の台本にない情報は煽られただけで、言葉に詰まるヘタレVtuberである。
そんなゴミクズのような性格でもVtuberの演技であるならばと、ある程度許されている。 社会的悪影響がある、とされる事実がなければ、彼は逮捕されない。 過去の梅宮辰雄氏の映画作品のように完全放送停止、再販売禁止
放送禁止用語や差別を助長する可能性があるなどの問題点が証明されない限りは、ただのコンテンツだ。