インタビューの極意?!
今日、私はインタビューを受けた。
日頃、研究者としてインタビューすることがあるし、また、研究対象者としてインタビューに協力することはあっても、研究とは全く関係なくインタビューされる経験は殆ど無かったと思う。
インタビューを受けたのは、とあるお店の顧客調査である。
3月にそのお店を始めて利用した私は、メールマガジンでやってきた利用者アンケートというものに回答した。
その後、是非ともお話を聴かせて欲しいとメールをいただいたので、即OKした。
インタビューする・される側として、気づいたことをまとめてみようと思う。
①具体的に聴くばかりではない
ざっくりとした質問をして、相手(インタビューをされる側:インタビュイー)の反応をみる。相手がどの切り口で答えてくるかもみているのかなと。
相手が答えに困ったときに、「ごめんなさいね、ざっくりとした質問で」と言いつつ、誰かの例をちょこっと話すと、相手はその例に触発されて、具体的に話をする。これも思考を促しているのかなと。
②一切否定をしない
自分(インタビューをする側:インタビュアー)の聴きたい答えが返ってこない場合も、一旦相手の発言を受けとめて、その後「先程仰っていたこの件ですが・・・」と聴きたい答えにたどり着くような質問を再度行う。とりあえず、相手には思う存分しゃべらせる。
インタビュイー(インタビューを受ける人)がインタビュアー(インタビューする人)に対して心を閉ざすことの無いように、相手の発言はそのまま受けとめる。
③相手の話を理解している、受けとめていることを示す
「今、仰ったことは、こういうことですか?」「このように理解しましたが、よろしいでしょうか」など、確認をとる。ちゃんと理解してくれているとわかると、安心して話を続けられる。
そのことで、相手(インタビュイー)は、自分の話した内容の整理もなり、思考がまとまってきて、別な話を思い出し、また違う話をすることができたりする。聞き手(インタビュアー)も、話を聴きながらまとめる力というか、筋道立てて相手の話を聴く力も必要ですね。
④聴くばかりではなく、ある程度自分も話す
インタビューされる側になって思うことは、自分ばっかりしゃべって申し訳無いなという気持ちになる。これは、人によるのかもしれないが(一方的に自分のことを話すことに何ら抵抗の無い人もいるので)、私は、普段の生活の中で、自分ばかり話をするという状況は殆どないので、自分だけが話すのに多少なりとも抵抗を感じる。
そのため、インタビュイーとしては、インタビュアーもある程度話をしてくれると嬉しく思う。
ただし、インタビューされる側の答えを誘導するような話は、インタビュアーからは基本的にしないことになっているので、なかなか難しいかもしれない。
こうやって書いていて気づいたのだけど、これって、インタビューの極意でも何でも無く、普段のコミュニケーションで大事なことなのではないでしょうか。
話を「聴く」ということ。それが出来ない人は、かなり厳しい。
研究で行うインタビューというのは、聞き手(研究者)がどのようなスタンスで臨むか、どのような人物であるか(人柄、という意味で)によって話してくれる内容が変わってきてしまう場合がある。研究者Aと研究者Bでは、同じような投げかけをしても、その後の展開が全然違うということもありうる。「あなただからこんなに話せた」と言われることもあるし、「自分でも驚くほど話しちゃいました」と言われることもある。
なので、普段から、話しやすい人でいること、つまり「話を聴いて欲しいな、あなたならわかってくれそう」という自分で在るように意識して過ごしている。
共同研究者のインタビューした内容を聴いてみると、「私ならここでこう尋ねるな」とか、「私なら、ここ気になるから更に質問するけど」など、様々な気づきがある。自分のインタビューした内容もそうなのだけど。
せっかく時間を作ってくださって、お話ししてくださるので、できるだけリッチなデータを得たいと思っている。それが故、普段から様々な人たちと関わることを大事にしている。自分の引き出しを多く持つ努力は怠ってはならないかな、と。
あ、そうだ、インタビューで大事なこと。
インタビューの場合は、自分の話した内容が果たしてどのような形で役に立つのか、そもそも、役に立つ話が出来たのか、という点が心配になる。
どのような形で還元されるのか、必ずインタビューを受けてくださった方に伝えておくようにしましょう。