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青が美しい島・海士町は、だれかの給油地なのかもしれない
こんばんは、一休です。
今回は、いつか「書こう」「書こう」と思い、今になってやっと「書く時」がきたと思ったものを、ほんの少しつらつら書いていこうと思います。
”先日”と言うにはあまりにも遠くなってしまいましたが、8月下旬、島根の海士町、という場所に行ってきました。
どうして行くことに?というのは、ざっくり書き残しておくと、最近、勢いに乗っているらしい無名人インタビューというコミュニティがあり(正式名称はよくわからない上、いつの間にかその中に入っていた)なんだかんだあってうっすら繋がり続けていて、主宰の方から「行ってみない?」といわれ、数日後に「うん、行ってみます」という軽い返事をしてしまったのがきっかけです(すみません…栗林さん…)。
そして、ここ海士町に行くまでの数ヶ月間は、新しい仕事もしつつ。気づけば8月下旬になり、なんとなく心が忙しいときに、海士町にやってきたわけです。「なんか、よくわからない島に来てしまった」というのは正直なところではありますが。
海士町には私の居住地・関東からほぼまる1日かけてやってきました。あまりに遠すぎる。
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現地で何をしたのかというと、「イン旅ュー」ということで、海士町にすんでいる方々に、私のような旅人がインタビューをして、島やそこに住む人と繋がろう〜みたいな感じのことをしていました。
私が担当したのはお二人で、私が1、2個ほど年齢が下なので、ちょっとした先輩とお話し、みたいな雰囲気でインタビューをしたのです。それが以下の記事にまとまっています。
そう、海士町にいる間、あまりに眩しい海の光や太陽、苦しいほどの湿気に圧を覚えつつ、ピッチピチの若い島だな…なんてことを考えていました。街並みも「なにもない」とはよく言ったもので、いやいや…民家も美しいし、海は透明感あふれる青だし。インタビューを受けてくださったお二人含め、さっぱり爽やかな方々がたくさん。
海士町にくる前日まで、仮病なんてものは使えない馬鹿正直者・わたくし一休だったもので「熱出ろ〜〜〜〜〜」と念じていましたが、無事に熱も出ず。今思うと、熱が出なくて本当によかったな、と思います。それくらい、よかった。
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その後、おおよそ2ヶ月半ほど経った現在ですが、ちょっと考えるのは、単純に「海士町よかったな〜」という思いもありつつ。
海士町にいた当時は「風がよく吹く島だな」と思っていたのですが、今、関東の地にいて思うのは「風も、もしかしたら土があってのことなのかもしれない」とも。土がないと、降り立つ場所がない、風になれない、と。
例えば、飛行機があったとして、永遠に飛び続けることはもちろんできなくて、どこかで給油しないといけない、土地がないといけない。飛行機は、土地があっての存在である。
例えが微妙ですが、人も似たようなもので、ずっと風で居続けるわけにはいかず、どこかの土地で栄養を取らないといけない、じゃないとその先へ行くことはできない。どこかの土地があってこそ、人は安心して風になれるんじゃないか、と。
なんだか迷宮に入りそうな気がしてきましたが、要は、海士町はだれかにとっての、ひとつの給油地であることなのかもな、と思います。もしかしたら、私も”給油地としての海士町”としてこれからも見ていくかもしれない。たった4日の縁ではありましたが、また行く機会があったら、栄養補給にでもいきたい、縁があったらその土地に移るのも悪くはない。
なんだか、話がまとまってこなくなったので、この辺で終わろうかと思います。
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