役に立たない受験体験記①〜20数年前、浮かれ気味の現役時代
前回書いた通り、20数年前、華の17歳どころか生きた化石のような暗黒の女子高生活を送っていた私だったが、そうは言っても高校2年生にもなると、なんとなく流れで大学受験を意識するようになった。
高1から塾には通っていたのだが、特にやる気があったわけでもなく、親にお金を払ってもらってるからには…と義務感で行っていたという感じだ。高2になった頃、周りがチラホラ予備校に行くようになっていたことに気づき、私は自らYゼミナールに行かせて欲しいと親を説得し、なんとか英語の授業だけ行かせてもらうことになった。
なぜYゼミだったかというと、同じ学校の生徒が少なそうだったからだ。同級生はS台、またはK合塾を選びがちだった。
選択は正しかった。
同じ学校の生徒には構内で1度も会わずにいられた。
そして、Yゼミの英語講師との出会いが、その後の私の人生を大きく変えることとなった。
最初に通い始めたのは高校2年生用の講座だったから、教室内ではまだ浪人生の先輩方との接触は無かったけれど、(我々の世代は人数がとても多かったせいもあり、)校舎の中はものすごい活気に満ちていた。
構内に売店、蕎麦屋(だったかな?)、本屋、そして大きな自習室…なんでもあったし、「予備校生ってこんな派手なの?!」と驚くほどに髪色も服装も多種多様の人たちがいた。学校とは違う長机、大きく広い教室、もちろん男子もいる…。こじんまりとした女子校の閉塞感に窒息死しそうになっていた私にとっては、そこは開放感あふれるドキドキワクワクの自由空間だった。
高2向けの開設講座は数が少なかったので、なんとなく曜日で選んだというくらいの軽いノリだったが、初日から先生の喋りの面白さに「え、予備校の授業ってこんな感じなの?!ゆるくない??」と、大きな衝撃を受け、早速ドツボにハマることとなってしまった。
毎回開始から授業本編に入るまで、しばらく先生によるフリートークが繰り広げられるのだが、言葉巧みに面白おかしく、時に先生自身の体験談を交えた熱い内容も折り込みつつ、私たちの心をぐいぐい掴んでいった…。「こんな先生、学校にはいない!ここの先生は私たちの敵ではなく味方なんだ!!」と思わせてくれた。
当時はまだ受験のことよりも、とにかく居場所が見つかった…という下心の方が大きかったが、表向きは勉強しに行ってるのだから親に文句を言われることはないし、予備校にいる時間だけは大嫌いな学校の閉塞感からも解放された。
あの時の私にとってYゼミは唯一の心の拠り所となった。
さて、若い頃の「尊敬」と「好き」はニアリーイコールだ(若い頃に限らないか...?)。たとえ生きた化石女でも、17歳、人並みに恋をしたい年頃でもあった。私はその先生にとてつもない尊敬の念とほのかな恋ゴコロを抱き始めた。
高2の頃はまだ教室の中央〜後方あたりの席に座り、様子をうかがいつつ授業を受けていたのだが、高3になり、本格的な受験講座になってからは、常に前から1〜3列目の席を陣取り、かぶりつくように受講していた。まず先生に存在を知ってもらいたいというアピールである。
そして、そういう女子は私だけではない(笑)。同じように毎回前方の席を陣取る女子たちがいた。1年早く高1の頃から先生を追っているセーラー服女子と、私と同時期に先生を知った浪人生のお姉さん2人だ。お姉さん方はなぜか私をとても可愛がってくれて、近所のファーストフード店で一緒に勉強したり、授業後に復習や恋バナなどしながら先生の出待ちをしたりもした。
前方に座っている生徒は授業中に指されることも多いから、その絶好のチャンスを逃すまいと念入りな予習を欠かさなかったし、自分達の授業が無い日も、先生に会いたい一心で英作文の問題の答えを何パターンも捻り出し、先生のいる時間を狙って職員室に並び、個別に添削してもらったりもしていた。
先生に気に入られたい、というだけでこんなにも勉強を頑張れるものか…恋愛の力ってのはつくづく偉大である。。
しばらくすると、学校の定期考査の英語の点数よりも、予備校の模試の方が良い点数を取れるようになってきて、ちょっとした自信がついた。
先生の言ったことを丸暗記することがメインの学校の試験より、全国模試の方がよっぽど信用できた。
だが、お察しの通り、私は英語だけしかちゃんと勉強していなかった。
古文、日本史も同じくYゼミで授業を取っていたのだが、そちらはミーハー心が災いして、ただタレント講師の授業を前方の席で受けるということだけで満足してしまっていた。先生の面白い雑談だけを楽しみに行っていたようなものだ。
そこでも毎回顔を合わせていたベテラン浪人生のお兄さんがちょいちょい私の面倒を見てくれて、よく同じ授業や自習室の座席を取って置いてくれたりした。
やはり予備校は楽しかった(笑)。
そんな居心地の良さに味を占め、現役時代はすべり止めを1つも受けず、大学生になる気ないよね?と思われそうなくらいの向こう見ずな受験の仕方をし、高校卒業後、無事、1年の浪人生活を獲得することとなったのだ。
(次回へ続く…)