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理想と現実の狭間で
白饅頭さんの透明な人々の声を集めるという思想にとても共感し、自身も影響を受けているのがよくわかる出来事があったので、備忘録的に記事にして残しておきたいと思います。
先日の白饅頭noteの記事で、プレイバックの感想を書かれ、そこで白饅頭さんは「犯人」の方に思いを馳せていたと、書かれていた。
私自身が、可愛そうランキングの下位である独身のおっさんであるため、いつ「犯人」の様に奈落に落ちるかと冷や冷やしながら生活をしている状態である。
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うちの職場には、新卒からずっと勤めているが、いわゆるポンコツな30代前半のお父さんYがいる。
彼の家族仲は至って良好で、この間は家で妻子と共にジグソーパズルを作っていたこと。皆がセオリー通りに外側の枠から作っていたところに、お父さんであるYだけが、刀を持った人気キャラの部分を先に作り出して大顰蹙をかった、という独身の私からしたらとても羨ましく、微笑ましいエピソードを聞いていた。
そして先日、職場の別の同じ30代前半のお父さんTに、Yのジグソーパズルのエピソードを話したところ、「反吐が出る」と言われ、私は大ショックを受けた。
Tの言い分は、家族の大黒柱である父親がしっかりしなければ家族を守れない、そんなことしている場合ではない、という至極真っ当なものであった。(Yが人事的に危うい立場であるという現状があるため)
Yはポンコツであるが、非常に真面目で誠実な人物である。真面目さ故に融通が利かず、気が利かないっといった部分があるのだが、こちらから的確に指示を出して見守ると非常によく動いてくれる。マネージャーが必要なタイプである。T的にはその手間を省きたく、それでは困るという訳だ。
ポンコツであるYの様な人物が幸福に暮らせるのが理想じゃないか、という話をして私はこの話は締め括った訳なのだが、その後はもやもやしたものを引きずった状態であった。
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少し話がそれてしまうが、私が最近よく見ているVTuberに「ADHD先生黒井」さんがいる。
https://www.youtube.com/channel/UCgmHz-aMJCAc5Yfvbe7Mafg
彼女は、発達障害であるADHDを持つ20代前半の女性(恐らく)で、自身のこれまでの体験や発達障害についての知識を動画にまとめて投稿され、少しでも自身の様な存在が生きやすいように、社会への理解を求めて活動をされている。
その彼女の生配信を見ていると、特有の症状からくる酔っぱらった様状態での話し方になってしまっていて、取っ散らかってしまってはいるのだけれど、自身のアバターを自ら描かれていて絵が上手く多才である。彼女もマネージャーがいれば上手くやっていけるタイプなのだろうなっと思って見ていた。
「黒井」さんのところにも、いわゆるアンチというものが心無いコメントをしていくらしい。多様性を謡いながらも実社会はそう上手く、簡単にはいかない現実を感じてしまう。
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皆で支え合い、補い合えば、それぞれが幸福で生きていけると感じるのだけれども、そうではなく。白饅頭さんの様に、「社会の透明な人々」について思いを馳せる人っていうのは少数派なのであり、多数派はそうでないのだなっと感じさせられる一件であった。
文明が進化しよりよくなっているけれど、高度化・複雑化することで「普通」という括りの敷居が上昇していく社会。時期に自身が「普通」でいられなくなってしまう可能性を想像できれば、寛容な社会になっていくのではないかと思うが、そうはなっていないことに今後の社会への恐怖を感じてしまう。