日常を切り取れたら
三月半ば、卒業シーズンの到来。街ゆく人々が新たな地での再スタートに向けてどこか騒がしいこの時期、寂しさと期待の入り混じった顔が溢れてる、春ならではの光景ですね。
それは大学卒業でも例外ではなく、新しい環境でまた新たな人脈を作って生きていく。不安は抱えるのは誰しもが同じで、これから出会うことや経験はその人の人生の財産になる。だけど、やっぱり友人との別れは何回経験しても悲しいもので、時間よ、止まれと思ってしまうものです。
昔からの疑問なのですが、
楽しいことほどあっという間に終わる
のはなんでなのでしょうか。楽しみにしていたイベント、旅行、ランチ、どれも1時間がその10分の1くらいで過ぎていってしまう。たいていの場合、今話さなくてもいい、なんてことのない会話だけでほぼ全ての時間を過ごしてしまい、最後の最後に本題をちょっと話してみる。なんてことがしばしば。だから結局話したいことは次回に持ち越しね、なんて。あの現象はなんなのか、折角あったなら実のあるはなしをするべきなのに、何気ない会話が楽しくて楽しくて、そしていざ振り返ると何を話したのかさえ曖昧なのです。でも、そういう何気ない時間が楽しくて、案外記憶に残るものですね。
最近は、スマホひとつで写真も撮れて、動画も撮れる。手のひらで思い出が簡単に保存できる、手軽でいいなと同時に、その分その時の記憶がその行為によって曖昧になったり、逆に写真の存在に安心して記憶に残そうとする力が働きにくくなる。便利なようで、一緒に過ごした時間の価値が薄くなっているような気もする。難しいものですね。
日常の何気ない瞬間全てを覚えているのは無理だけど、大事な場面は切り取って頭の中のアルバムにしまえたらいいのなぁ。そしたら、取り出すのも簡単なのに。そんな、ないものねだりをしたくなる季節みたいです。