
【童話】天女のりんご 後編
前編はこちら⇩
そのりんごを食べてからというものの、母の身に特別すぐに何か起こることはありませんでした。けれど、それは、ゆっくりと、しかし確実に母の体にある変化が現れていくようになりました。
はじめは、ほんの違和感からでした。数年の月日が流れて、母は、周りの同年代の人と比べて、また自分の母が自分と同じ歳だった時と比べて、顔にしわやシミが未だに1つもないことに気づきました。
「それは、ママが若い頃から肌を大事にしていたからじゃない」
娘にそう言われて、母は、そんな自覚はなかったのですが、納得をしました。
しかし、さらにそれから5年、10年と月日がどんどんと経っていくうちに、その疑いは確信へと変わっていきました。相変わらず、顔や体にしわやシミ1つ、白髪の1本もなく、体も軽やかなままで、まるであのりんごを口にした日から1日も年を取っていないようなのです。いつまでも若々しい母の姿に、さすがに娘も気味が悪く思いました。
「何か病気なのではないか」
娘は、母をあらゆる病院へ連れていきましたが、どの医師も原因や病名を判断することはできず「健康そのもの」と言って帰されてしまいました。まさか、あの日食べたりんごが天女の息のかかったものとは、また天女の息のかかった食べ物を口にしたものは、不老不死の不思議な力を得るとは、誰にも予想がつかないことだったのです。
やがて、娘も母と同じ年齢になりました。この頃になると娘は、どんなに著名な医師も、大学教授も、信用することはできないと言って、書物を読みあさり自分の力で原因を突き止めようとしました。母も、そんな娘を頼もしくも、自分が情けなくも思いながら、その手伝いをしました。
しかし、時の流れは残酷なものでした。娘は、母の年齢をどんどん追い越していき、老いていきました。ついには、母の不老の原因は謎のまま、病に倒れてしまいました。
路面電車の線路脇を歩きながら、若者はあたりを見回していました。自分が生まれ育った緑豊かな故郷を思い出せば、この電車の走る前衛的な街は、まるで別の星に降り立ったように思えます。その道すがら、ある1人の女性がうずくまっているのが目に留まりました。小さな古びたかばんを右手に抱えて、型の古いワンピースの上に、年季の入ったカーディガンを羽織っています。けれど、その装いとは対照的に、胸元まで伸びた髪の艶やかなこと…若者は目が離せなくなりました。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
少し膝を曲げて、その女性に声をかけます。女性は、先程まで泣いていたのでしょう。少しピンク色がかった潤んだ瞳で、つぶやくように話します。
「お嬢さんだなんて…私は若くないのよ。もう300年は生きているかしら」
若者は、その言葉をすぐには飲み込めないくらい驚きましたが、すぐに戯言とは決めつけませんでした。
「もし、お時間があれば、そこの喫茶店で休みませんか?」
カウンターの近くのボックス席に、二人は腰かけました。注文した飲み物が届いても、二人はずっと黙っていました。若者は、うつむく女性の顔をまた見つめました。きめ細やかな白い肌に、唇や爪の血色の良さ、しかしまだ若い娘のはずなのに、なぜだかその瞳や顔色は、年齢にそぐわずひどく疲れているように若者の目に映りました。
―300年生きてきたというのは、本当かもしれない―
そう思いながら、こう女性に尋ねました。
「今日は、これからどちらへ行かれるのですか?」
女性の指先がぴくりと動きます。
「森…深い深い森の奥です」
「森?ほう、それは危険ではないですかね」
「平気です。誰もいないところへ、行きたいのです」
女性は、思いつめた様子で静かに答えました。若者は、ますます不思議に思い、
「これから誰もいないところへ行くのなら、今抱えている思いを打ち明けることもできません。私で良ければなんですが、話してくださる気持ちにはなれませんか?」
と慎重に女性の心に歩み寄りました。女性は、
「信じてもらえなくても結構ですが」
と前置きした上で、自分の身にこれまでに起こった出来事を淡々と話し始めました。ある日から突然不老不死の体になってしまったこと。娘に連れられあらゆる病院を訪ね回ったけれど、原因も病名もわからなかったこと。そして、その娘も亡くなってしまったこと。それからは、周囲の人目を避けるために、各地を転々と暮らしていること。
この話を聞いて、若者は深く同情をしました。唯一の味方であり、愛していた娘にも先立たれ、彼女は何百年と孤独な時間を過ごしていたのです。
若者は、勢いよく立ち上がり、宣言をしました。
「私と一緒に暮らしましょう。私は、あなたの理解者であり続けることを誓います」
その目は、女性の瞳の奥を捉えたまま瞬きもしません。女性は、そんな純粋な若者の心に、まるで春風にそよぐたんぽぽのように優しく惹かれました。けれど、それを受け入れることはできませんでした。
「私は、娘を失った悲しみがまだ癒えていません。あなたも、きっと私より先に年老いていくでしょう。その姿を見るのが、先に逝かれてしまうのが、何よりも辛いのです。ここであなたとお別れをするのは心苦しいのですが、一緒に過ごした後お別れをする方が、ずっとずっと苦しいのです」
女性は、絞り出すような声でそう言い切ると、コーヒーの料金だけテーブルに置いて店から出て行ってしまいました。それからの女性の行方は、誰も知りません。
「600歳の女」という昔話を知っていますか?
知名度の低い作品かなと思うので、知らなくても無理はないです。
前編で少し触れた通りなのですが、今回のお話は、この昔話に影響を受けて作りました。
話の大まかな流れ、結構齧ってます(^^; 気になった方はぜひ検索を。
少し前に、私は『竹取物語』を交えて不老不死について書いたのですが、それを書いている最中からこの昔話を思い出していて、そのわりとすぐ後このお話ができあがりました。
その記事、論文(?)はこちら⇩
私事なのですが、「りんご」の表記すごく悩みました(@_@;)
「りんご」「リンゴ」「林檎」
ぱっと浮かんだのがこの3つ、私は漢字で書けるものは基本漢字で書きたい人なのですが、童話だと少し堅苦しいかな、とも思ったりして…
結果的に、変換も何もいらないひらがなが、一番柔らかいし早く書き上げられるな、と思ってそうしました。
最初このお話のタイトル「不老不死の女」にしようとしていました。
それに、天女に不老不死の力を取り消してもらうようお願いに行く、みたいなハッピーエンドな展開も考えていました。
でも、話の方向性として、こっちの方がしっくり来たんです…。
数日ぶりに童話を書いて、すっごく楽しかったです(*‘ω‘ *)
また書くので、お時間があれば、読んでみてください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
皆様も、たまには昔話の世界に入ってみませんか?📚