母の日

なんだろう。

人の涙腺は年をとるごとに緩くなると決まっているのか。
そういう話をよく聞く。

私も同じく、だ。
ここ最近、とは言っても、2.3年前くらいからだろうか。
2.3年前をここ最近と言う事自体が恐ろしく年をとった証拠ではある気がするけれど。

人の文章を読んで、はたまた映像を見て、更にはラジオなんかで聞いただけでもウルっとすることが増えた。
涙の粒は流れないから、正確には涙腺ではないのかもしれないけれど、鼻か目の奥がツンとするのだ。
大抵それは、誰かから誰かへの感謝の気持ちを表した時。


病んでるのか?
求めてるのか?
と思ったこともあるけど、多分年齢のせい。

自分が伝えてきた感謝と伝えなかった、伝え損ねた気持ちをそこに重ねてしまう。
そして、伝えられた気持ちや、伝えて欲しかった気持ちも。
年齢を重ねるごとに、それらも重ねられていく。
それが、外部から入ってきた情報に反応しているんだと思う。

今日は新聞の小さな記事を読んだだけでツンとした。
私の感情も朝からなかなかに忙しい。

ところで、今日は母の日だ。
私にも当然母親はいる。
大病をして痩せてしまったけれど、元気に生きている。
それだけで感謝だ。
若かりし頃はとてつもない距離感と無理解な感じがとても苦手だったけれど、
あの頃は私も母も若かった。
反面教師になってくれたのかもしれない。

今は適度な距離感でとても良い位置にいる、と娘である私は思う。 


母の想いは一生分らない。
そして子である私の想いも一生分らない。
それでも私達は親子だ。
私が元気に暮らせているのは母と父のおかげだ。

母の日に向けてプレゼントを送った。
今年の母へのメッセージは『生きていてありがとう』だ。
色々あって急な注文になり、急に届いた。
昨日ありがとうの電話があった。
電話越しの母の声はとても元気で、その声が聞けて良かった。

と同時に、祖母と最後に話した去年の夏の電話を思い出す。

人の生命はいつ終わるか分らない。
病に侵されているかどうかも実は関係ない。
明日の生命は誰にも保障されていない。

そんな中で、今年の母の日に私の想いが伝えられて、受け取ってもらえて良かった。

お母さん、ありがとう。

そしてまたこの自分の記事を読んで私はツンとする。

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