「五月の風」MV制作を終えて(セルフライナーノーツと制作秘話)
はじめに
こちらの、「五月の風」のMVをリリースしてから3日ほど経過し、様々な方から反響をいただきました。
まずは、この場を借りてお礼を述べます。
本当にありがとうございます。
そして改めて、自分への振り返りも込めて、
ここにセルフライナーノーツと制作秘話を記します。
私は、歌詞や曲、映像を含めて「余白」があった方が聞きやすいのではないかと考えていました。
なので、これまで曖昧な言葉で書いてきたことが多かったように思います。
そういった「余白」をそのままにされたい方は、
そっとこのページから離れていただいた方が良いかもしれません。
「余白」から一歩踏み込んでみたいという方は、そのまま、下へと読み進めてもらえたらと思います。
1. テーマとタイトルについて
今回の曲のテーマは「喪失感」と「追憶」でした。
まずは、タイトルを名づけた経緯からお話します。
タイトル:「五月の風」とは
タイトルの「五月の風」ですが、
1年を過ごしていく中で、3月に卒業式など、何かに別れを告げるイベントがあり、4月には新生活が始まる。
その新生活の忙しなさが落ち着いた段階で、ふと、自分が別れてしまったものへの思いが帰ってくる季節。それが5月なのではないか。
そう思い立ったのが、この曲を作るきっかけでした。
そこで、別れて、過ぎ去ってしまったものへの総称として、「五月の風」と、名付けました。
ここからテーマの詳細に移ります。
テーマ①: 喪失感
まずは、テーマになったうちのひとつ、喪失感の内容から。
愛するひとを、愛するものを、
もう以前のように愛することができないということ。
死も、失恋も、その点ではよく似ていて、自分が大切にしてきたものが、手からこぼれ落ちるように失ってしまった哀しさを、乗り越えていくためにはどうすればいいのか。そこに、どう向き合っていくかを考えてみました。
そこで、もうひとつのテーマ「追憶」に移ります。
テーマ② :追憶
何かを失くした直後というのは、失いたくなかった気持ちでいっぱいで、失ったものがもっと具体的に、どういうものだったのかさえ見失っているような状況だと思うのです。
それを一度、整理して、自分が何を取りこぼしていったのか、向き合って初めて、自分が失ったものがなんだったのかが判明して、解像度を高く、自分のなかにそれを置いておくことができる。
そこで、ようやく素直に、自分のなかで、その出来事や、相手にもう一度、心の中で会いにいくことができるのではないかと思ったのです。
(よくいうところの、亡くなってしまっても、心の中にそのひとがいてくれる、というものに近い考え方になりますが)
これは、そういう心境の変化を、音で表現したかった楽曲なのですが、MVにするにあたり、そのテーマをもっと直接的に表現するように心がけてストーリーを構築しました。
もう少しだけ、長くなりますが、追憶について深く掘り下げていきます。
追憶というのは、
そのひととの記憶をなぞるということなので、
今回、記憶というものの見せ方に、少し、重点を置いて制作をしました。
これには、もう亡くなってしまった私の祖母への想いがあります。
私が物心ついた頃には、祖母は既に認知症を患っており、一緒に暮らしていくなかで、コミュニケーションが難しいなと思う場面が多くありました。
お互いの見ている現実が、どうしても認知症を患っているひとと、そうでないひととだと、食い違っていってしまうんですね。
日常の、些細だけれど大切なことが、どうしても抜け落ちていってしまう。けれど、記憶がなくなっているということに、本人は気づいていないんです。
そのために、優しさを優しさだと、受け取ってもらえなかったりする。
ーーたとえば、些細なことではありますが、朝ご飯を済ませて五分後、またすぐ何かを食べようとするのを止めたときであるとか。
けれど、そのひとの記憶に強く残っているものは、何かの拍子にふと思い出すことがあるんです。
それは、うまく自分の思い通りにいかなかったことだったり、必ずしも、いい想い出ばかりというわけではないけれど、確かに、そのひとの内側に強い感情を呼び起こすような記憶は、ずっと、生に近い状態で残っているのです。
きっと、そういう風に、残り続けているのは、
その記憶を、何度も反芻するからなのではないかなと思うのです。
そうすることで、元ある記憶の状態から、さらに深めていく想いというのがあるのではないかと思い、できるだけ、記憶のパートは、日常のほんの些細なショットのように、鮮やかに、相手の純粋に楽しそうな表情を切り取っていくのを心がけました。
2. ストーリー構築の参考にしたもの
今回、映像化する上で、元の楽曲以上に直接的に表現するようにストーリーを構築した、という話を上に記しました。
物語の筋書きや、それをもとに映像を作るにあたって、いくつか参考にした話があるので書いていきます。
① 映像中の青年が手に持っている本
映像の中の青年(演:萬伽里さん)が持っている本は『草迷宮』というタイトルで、母を亡くした青年が、母が生前歌っていた手毬唄を頼りに旅に出るお話となっており、このMV全体のメタファーになっています。
亡くしたものを求めて記憶を頼りに迷宮に入っていく、というストーリー。
こんな冒頭の一文がありまして。
MVのロケ地は浜松ですが、こちらは、神奈川県の三浦半島が舞台となっています。
私はよく幼い頃に家族で海水浴に行っていたのですが、それが三浦半島の葉山で、そこから海が持つ雰囲気が好きになり、後述になりますが、MVで海辺のシーンを持ってくる運びにもなりました。
そういう経緯があって、あの本を入れています。
② 「皺」ーパコ・ロカ 著
こちらは、認知症を題材にしたスペインの作家さんの漫画です。
映画化もされており、現実に認知症の方の記憶や主観が入ったり出たりしていく演出の切り替えが非常に巧妙で、映像中の少女(演:ゐるるかくらげさん)が青年の記憶の中を彷徨っている、という演出の着想元になりました。
実際、何かを思い出しているときって、もうそこには何もないところに、当時の情景を重ねたりするもので、そういった効果をどう出そうかなというのは、非常に迷いました。
映像を制作している際、「なんていうか、消えたり出たりしてほしい」というざっくりした要望を、カメラスタッフ及びディレクターの、れのさんにお伝えしたので、ライトリークで消えていくという演出を最初見たときは驚きました。ああ、そう、これだ!という感覚がありました。
その他にもカメラワーク等は、れのさんの発想が大きく影響していて、彼の映像へのアイデアにはいつも驚かされるばかりでした。
楽曲や物語に対する想いがどうしても強く、言葉が足りなくなってしまう私に、彼は忍耐強く付き合ってくれて、言葉を引き出してくれて、この映像が仕上がったので、感謝しています。
また、そのほかに、演出上参考にした映像作品は多数あるのですが、ここでは割愛いたします。
3. 登場人物と配役
少女について
前述した通り、祖母がモデルになっています。
どこか自由な雰囲気のある女性だったので、その印象を載せつつ、ほんのすこし幼い印象を持たせたかった。
元々、七人姉妹の末っ子で、お姉さんにたくさん甘やかしてもらった話を聞いていたので、そんな感じだったのかもしれません。笑
また、動きの部分では実妹もモデルになっています。妹つながりで。
そのほか、女性のなかにある純真さと包容力を表現したかったので、関わっていて、そういう印象のある、ゐるるかくらげさんと撮影しました。
彼女は、小説家としても活動をされていまして、ロケ地に向かっている際、
「この曲でお話を書きたい」と仰っていただき、一緒にどういう曲なのか話しながら、少女のキャラクターを作り上げてくださいました。
そうして、動きの表情がしなやかで幽玄で、どこか現実離れしていて、けれど、距離感の近い映像が撮影できました。
また、妖精のような、何処か現実離れした印象に整えたかったので、周りの色鮮やかな情景と対比して、違和感の目立つ白い衣装にしました。
(夏がくるということで、百人一首にある持統天皇の和歌が思い浮かんだこともあります)
青年について
自由奔放な少女を追いかける話なので、相手役は青年にしてみました。
私の内側の男性性というべきなのか、そういったものを抜き出して投影した人物で、モデルがあくまで完全に男性というわけではないため、無骨な印象が薄い、比較的、落ち着いた男性にしたかった。
かといって、年齢がそこまで上ではないという部分を考えて、イメージと一番合う方として萬伽里さんが思い浮かんだので、今回お声かけをしてみました。
彼はYoutuberとしても活動されているのですが、非常に多忙な方なので、応えて下さって嬉しかったです。
彼の演技はとても引き出しが多く、「探している」「迷っている」という曖昧な指示に、アドリブで色々な動きをつけてくださいました。
砂を掴んで流していくシーンなど、彼のアドリブが加わって、最終的な青年のキャラクターが出来上がっていきました。
また、走っているシーンが意図せず曲のテンポと全く同じでほぼ修正が要らなかった、という……。れのさんが編集中に驚いていました。
また、少女と比べると現実寄りだけれど、過去に自分の気持ちを置き去りにしている役ですので、衣装は色があるけれども、褪せた印象に整えました。
4. ロケーション
実は、MVのイメージを考えていた際は、「電車の中」「海辺」ともうひとつ「部屋の中」といった、3つの情景しか決まっていませんでした。
「電車の中」「部屋の中」は、前述した、別れて過ぎ去っていった生活を偲ぶ場所として、通学、もしくは通勤中の電車の車内と、家で一人で考え事をしている部屋の中が多いのではないか、と考えて。
「海辺」は、幼い頃、楽しかった思い出の象徴を考えたときに、私が真っ先に思い浮かぶ場所が海辺だったので(前述した葉山の海水浴の思い出)。
それをれのさんにお伝えしたところ、浜松の天浜線と、遠州灘の砂浜がイメージに近いのではないか、と教えていただいたので、ロケ地に選びました。
また、撮影を続けるなかで、カメラワークや映像の流れを加味しながら、現実的なラインに落とし込んでいくのに合わせて、ストーリーも変化していったため、「部屋の中」が没案になり、代わりに「海辺に近い情景」のある「砂丘」が近くにあったので、そちらを選びました。
撮影中は天候などにも悩まされましたが、何とかカットを撮影しきることができました。
5. 歌唱パートについて
前作のMVでは語り部と主役の2役が私に重なるような演出ではあったのですが、ディレクターのれのさんと議論して、今作のMVでは、明確に語り部として独立した役のパートとなりました。
また、主役が男性ということで、歌唱パートも前回の女性的な印象から、少し男性に寄せたような形にしました。
そして、演者パートがノスタルジーを前面に出しているので、映像全体が古びた印象になりすぎないよう、現代に寄せた衣装を選びました。
風を意識したシースルーのジャケットとブーツに、五月の花である芍薬のトップス、緑を基調としたブーツカットのパンツ。
これは後に知ったのですが、白い芍薬の花言葉には「恥じらい」「はにかみ」「満ち足りた心」らしく、MVの少女の印象とも重なるなと思いました。
6. 音楽的な部分での振り返り
次に、音楽的な部分を振り返って。
今回、新しくストリングスパートを松本一策さんにご依頼しました。
元々、アルバムで出していた音源でも、全体的にベースラインやギター、ドラムを含めて「風」の印象を強く出したかったので、サポートのメンバーの方にも、風の印象を汲んでいただいて、録音していました。
その際、ストリングスにもかなり拘って打ち込みで制作していたのですが、さらにブラッシュアップしていただき、非常に美しいラインにアレンジして録音していただきました。
生演奏のストリングスでしかできない表現もその際に多数入り、全体の印象が更に引き締まったように思います。新しいサウンドになりました。
また、全体のレコーディングとミックスをナガタケアツシさんにご依頼し、全体的に軽やかなサウンドに仕立てていただきました。
さいごに
畏れ多くも色々な場所から、様々な方から、音楽、映像を含め、アイデアを拝借させていただいた今作でした。
本当に色々な方に尽力いただいて、この作品が公開できたと思っております。
まずは、出演してくださった萬伽里さんとゐるるかくらげさん、携わってくださったみなさん、並びに、ご視聴くださっているみなさん、この場を借りてもう一度感謝を。本当に、ありがとうございます。
ご視聴くださる方々の、それぞれの想像の片隅に「五月の風」の世界観をそっと添えて、会えなくなってしまった何かに、誰かに、会いにいくように、浸っていただけたら幸いです。
しののめより。