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[小説]「薔薇が枯れた」箔塔落

 薔薇が枯れた。たいへんだ、水を替えなきゃな、と思って、もう枯れているんだからそんな必要はないのだ、と気づいた。ようやく気づいた、と言ってもおおげさではないだろう。ぼくは薔薇がこれっぽっちも好きではなかったのだ、ということに。それから、薔薇を飾るだけ飾っていなくなってしまったひとのことも。
 心が少し晴れやかになるのを感じた。ゴミ袋に枯れた薔薇を捨てた、というただそれだけのことで。ついでだから、とコルクボードに画鋲で留めてあった写真もゴミ袋に捨てる。あのひとの写真はコルクボードを、それこそお祝いの薔薇の花束みたいに埋め尽くしていて、画鋲を外すのを早々にあきらめ、ちぎるようにして写真を捨てる。あのひとの写真を撮るのが好きだと思っていた。あのひとの写真を撮るのはとても良いことのように思っていた。でも、実際のところ、ちぎった写真の表面にはうっすら埃の手触りがするし、ゴミ袋に捨てる際にまじまじと見返すこともない。美しいひとだったから、写真に残すのはとても良いことだと思っていた。美しいひとだったから、告白されたときは、自分がガレット・デ・ロワの中に仕込まれた人形になったような気分になった。そうだ、おそらくそのほうが正確だ。たとえば、「ガレット・デ・ロワの中に仕込まれた人形を引き当てたような気持ち」、というよりも。美しいひとに対し、ぼくは必ずしも恋愛感情を抱くことはない。そんな当たり前の事実。ようやく気づいたら、かんたんにそうだと認められた。なのに、ぼくの心はますます晴れやかになるのではなく、ふたたび曇りを帯びてきた。つまりぼくは、自分の好きでもないひとと、ごくごく短い期間とはいえお付き合いをしていたことになる。それは、ごくごく短い期間とはいえ、非常に不誠実なことだ。そう思うと、なんとなく自分のやっている断捨離めいた行動にもしらけてきて、ぼくはゴミ袋を床におき、自分の尻もついでに床においた。
 たぶんぼくはあのひとを傷つけてしまった。傷つけてしまった、というその事実に傷つくなんて、われながら都合のいいのうみそだと思う。でもぼくは、ぼくのことを好きになってくれたひとを大切にしたかった。ガレット・デ・ロワなんかに隠さずに、いまどきのクリスマスケーキみたいに生クリームのそばに飾りたかった。あの、子供が取り合うマジパン製のやつ。それを誰かに見せたいと思っていた? わからない。実際のところ、誰にも見せなかった。照れくさかったのかもしれない。そもそも念頭にあがらなかった。でも、あのひとは、自分が大切にされていることを、周りの人に見てもらいたかったかもしれないのかな? いまごろになってそんな考えが浮かんでくる。大切にすることと秘密にすることは違うことだし。そういう食い違いが積み重なっていく。いいや、それこそぼくにとって都合のいい言い訳というものだ。ぼくが愛だと思っていたものは、土台からして愛ではなかったのだ。だからぼくは薔薇をつきつけられた。それを枯らしてしまった、というのはある意味あのひとの思惑通りなのだろう。
 ぼくはゆるゆるとゴミ袋の中をのぞきこむ。花弁がすっかり変色した薔薇を手に取る。薔薇の茎からは棘が抜かれていて、ぼくは傷つくことを容認されないような気持ちになる。愛することができなかった、と思う。いつかはぼくは、だれかを愛することができるようになるのだろうか、と思う。いつになったらぼくは、このひとを愛していると錯覚しなくなれるのだろうか、と思う。眼球の上の表面張力にちいさなちいさなボートがやってきて、それがゆらゆらと揺れるものだから、目尻からこぼれてしまうものがある。咲いた薔薇はいつかは枯れる。ぼくはぼくに問いかける。ぼくにとって真となる命題とは、いったいどんなものだろう、と。
 かなしいな、と口に出したら、この部屋のすべてのものに流れる時間が止まった気がした。

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