ノスタルジーの正体〜”時層”を知る意味。
ある程度の年齢になると、未来への期待よりも、子どもの頃や若い頃に見ていたものへの懐かしさが上回るようになります。口を開けば昔話とか若い頃の武勇伝とか。イカンね。聞かされる若い人にとってはとても迷惑なはず。とは言え、この感情を単なる懐古趣味にせず、いいものを次の世代に受け継ぐために使えば、意外に役に立つとも考えられます。
大げさに言えば歴史の継承。常民文化の継承。おそらく歴史に名を残さないであろう僕たち庶民や、両親や、祖父母が見ていたものを記録しておく行為。
曾祖父母や祖父母は電気もクルマも無い時代を知っている。両親は戦後の何も無い時代や、復興の時代を知っている。そして昭和生まれの多くの人たちは、インターネットの無かった時代を知っている。
無くても生きて行けたのだ。だから何かの理由で失っても慌てる必要が無い。そんな強さもまた、ノスタルジーの世界から学ぶことができる。
それは、自分を育ててくれた時代への感謝。
10年以上も前の話になるけれど、“昭和好き”で知られる落語家さんに、その理由を聞いたことがあります。そして、しばらく考えた後に聞かせてくれた答えは、
「僕を育ててくれた時代への感謝でしょうね」
とのこと。なるほどなぁ。
「周りの大人たちのおかげで、幸せな少年時代を送れたからだと思うんです」
この言葉は、僕の疑問のど真ん中に飛び込んできました。そうだったのか。この感情は少年時代への感謝だったのか。
彼は東京の下町で育ち、僕は川崎の工業地帯で育ちました。お互いに似たような地域だったので、共感するところが多かったのかもしれません。
たしかに、僕が子どもの頃は大勢の大人に囲まれていました。家族だけではなく、近所の町工場で働く大人たちや、ヒマそうな爺さんまで。今より貧しかったかもしれないけれど、高度経済成長期だったからかどうか、彼らはみんな元気だったし、声は大きかったし、よく働いていたし、よく喧嘩もしていました。
大人とは怖いものでした。しかし彼らは、子どもの僕たちにも普通に声をかけてきたものです。「早く帰らないと人さらいが出るぞ」とか「床屋に行ったね」とか。悪いことをすれば見知らぬ大人にも叱られたけれど、それが普通のことでした。街中の大人たちが、子どもを育てていたと言ってもいいはずです。
古い街並みや建物を見ると懐かしく思う理由は、両親や自分たちを育てた大人たちが、元気だった頃を思い出すからかもしれません。大人になった今、そんな彼らを思い出すこと、そして改めて感謝すること、さらに来るべき時代に何か望みを託すこと。それらを合わせてノスタルジーと呼ぶことはできないでしょうか。
そしてもうひとつ大切なこと。それは、平成や令和に生まれた人たちが、やがて昔を振り返る年齢になったとき、今の世の中の何を懐かしく思い出すのか、ということ。それがわかれば今から大切にするけれど、やはりわからないだろうな。
ということで、今回は総論。これからもこういう視点で「懐かしい」と思うことがあれば、noteに書き留めておきたいと思います。
写真はいずれも、つい最近になって消えてしまった東京の風景です。まだ懐かしいと思えるほどではないけれど、もう取り戻せないものばかり。
たとえば新国立競技場が建設される前、つかの間に現れた東京のど真ん中の空き地。これほどの広い場所を、今どきの都心に見ることができたなんて奇跡です。どうせ東京五輪がこんな状態になるんだったら、一年くらい、この空き地を開放してほしかったな。
続いて、大工事が始まった頃の渋谷駅と、都内に残る最後の木造駅舎と言われていた原宿駅。
昭和から平成の時代を通じて、どれほど多くの人がここを通ったのだろう。その中には、すでに亡くなった人も多いだろうけど、その人たちは何を思い、どのように生きたのか。そして何を思いながらこの世を去り、何を残したのか。そんな妄想を繰り返すうちに、ノスタルジーとは、単に過去を懐かしむだけの感情ではないことがわかってくるはずです。