突然うるっときた
今日はウクレレ教室の発表会でした。5人の講師から指導を受けている46名のご参加がありました。演奏はグループによるもので全7曲と、プログラムは少々寂しいものですが、なんとか楽しい一日にならないかと、しっかり舞台でのリハーサルを設け、出演者1名につき1名の制限を設けながらお客さまをお招きしての本番と、充実した時を過ごして頂けるよう企画しました。
スタッフも、相応の出演者数が実現できた場合に外注している音響会社が、今回は入りません。備品マイクの本数に制約があったり、人員にも限りがあるため、講師が多少の裏方を負担しなければならず、私はPA卓にいて音響操作を行いました。
会の終盤は講師も同様に演奏を披露しました。2名、3名の2グループで1曲ずつ、私は、さるジャズギタリストの方とデュオで参加しました。その方とLINEで打ち合わせしていて、ふと思いついてバカラックの追悼として彼の曲を弾きたいと述べました。過去にウクレレ2本とベースのトリオ用にアレンジした譜面をウクレレ2本用に書き直して、やらせて頂くことにしました。
バカラックとウクレレ、と言えばB.J.トーマスの『雨にぬれても』が定番で、きっと聴いている方も楽しんで頂けると思ったのですが、自分で書いたアレンジはないので作らないとならないです。他の仕事とも重なっていたため、先述の編成で『アルフィー』をやることにしました。生前、彼が自作の中で一番気に入っていると言っていた曲です。
講師演奏1曲目として、私がMC用のマイクで語りかけ、そのような経緯を話します。実は今日のプログラムで、私の相方のクラスの方々が『雨にぬれても』を演奏していたのです。危うくダブってしまうところでした。で、本人お気に入りの、と喋りかけたところで、不思議でならないのですがグッときてしまって言葉が詰まりました。その瞬間に、バカラックが故人となった事を実感したのです。電撃のように哀しみが全身を貫いたのを感じ、その影響から逃れ、平常心を取り戻すのに時間を要しました。全く不意のことです。
デュオの最初の小節、イントロはなくメロディから、私が独りで弾き始めて3小節目になって彼の伴奏が追随し、途中伴奏と旋律を交替しながら、2コーラス目でそれぞれのアドリブを分け合い、エンディングへと向かいます。アレンジした楽譜ですが自由に弾いてくださいと申し伝えてあります。ジャズギタリストらしく、旋律へは即興としての変奏が加えられ、バッキングのボイシングにも「らしさ」が現れています。私にはソロ以外のところで、譜面から離れた自由を演じることが本質的には苦手で、編曲者としても淡々と自分のパートをこなす方針で行きます。
彼もご自身のクラスの演目をバカラック追悼といって選曲しており、私は講師演奏に同じ思いで選曲したため、なぜかそのリンクがデュオの演奏に力を与えていたようです。弾いていて、その手応えを感じました。その実態を理解しがたい『追悼』という儀式「のようなもの」が果たせたと感じます。
94歳で世を去ったバート・バカラックは、個人的には父親と同年齢です(2ヵ月早くに生まれていますが)。世界恐慌前年、ジャズエイジと呼ばれる最終年に生まれ、20世紀を担ってきた世代。バカラックはジャズ/ポップ/ロックに素晴らしい実績、それは永遠に人の喜びとなる珠玉のアイテム、を星の数ほど残してきました。しかもその一つ一つは独特であり美しく、それほど量産してもなお、最後まで輝きに曇りはありませんでした。