舞い上がれ 最終回とリアルな別れ
あっという間の6ヵ月が過ぎたことを朝ドラが教えてくれます。いい終わり方でした。何度か、リレー童話のような脚本家のバトン渡しと書きましたが、最終週はメインの桑原亮子さんが、美しい大団円を描いてくれ、満足です。
長崎の五島という場所が、彼等にとってどれだけ大切であるかを、舞が操縦する「空飛ぶクルマ」から俯瞰させたのは、視聴者への愛ある贈り物として受け止めました。語りなど聞かずとも、ただ景色が、そこに流れた濃厚な時間を呼び覚まし、私は追憶という言葉を想起しました。それは、パリにいる八木さんが、送られてきたのであろう、貴司の随筆を手に取っている時の表情に重なるものです。
この物語は、病弱な東大阪での幼少期、母親から離れて暮らす五島の頃、人力飛行機に出会う浪速大学生時代、中退して進む航空学生時代、リーマンショックで就職難と父親の早逝、会社員からの起業〜空飛ぶクルマのベンチャーへ注力と、私ならば6つの季節に分けることにします。一貫して飛行機への憧れを持ち続け、具体的な目標には挫折しますが、ついにパイロットとして操縦桿を握る未来へ至り、全ての過去が意味を持って繋がりました。
たしかに逆風であったと見ることができますが、夢の実現が叶うと共に、励まし合って育った幼なじみ三人が家族になりました。幸福というものが、どんなものであるか、私はストレートに教えて貰った気がします。
岩倉舞が志しを一応の形で遂げ、その姿を好演してドラマを卒業する福原遥さんですが、それに似た、ひとりの少女のストーリーを、私はもう少し身近に感じていました。
FMヨコハマの夕方の帯番組、その月・火で週2回、アシスタントDJを務めたシンガーソングライターのSAKUさんが3月いっぱいで番組を降板し、初夏には音楽制作の場を英国に移すことになりました。
7年前、今は終了している同局の『Lucky Me』という番組でリポーター役として縁ができたとき、すでに映画『ビリギャル』の挿入歌で、ソニー系のアーティストとしてデビューしていました。翌2017年に現在の『Tresen』がスタートした時に月曜のアシスタントとしてレギュラーDJに抜擢され、そのトレセンを6年もの間、メインDJである植松哲平さんとの絶妙なやり取りで局をも代表するキャラクターに成長されました。
彼女は、いつもシンガーソングライターの、と自己紹介をし、ソニーとの契約を解消した後も、一方でタレントばりの人気を得ながら、懸命に「音楽家」としての軸を失わないように頑張っていたのは、多くのリスナー、ファンの知ることでしょう。
常に移動先にマーティンのアコースティックギターを持参し、いつでもどこでも歌と演奏を披露しました。番組内には即興ソングコーナーを設け、むろんあらかじめ用意した楽曲のフォーマットではありますが、募集したお題を歌詞に盛り込んで沢山の楽曲を生放送で流しました。
天衣無縫な性格で人々に満面の笑みを招く、そのためには行きすぎるくらいに呆ける役割を担うことも多々ありましたが、その苦渋はいかばかりだったかと想像します。
コロナ禍の2年目くらいから、そうした音楽の安売りを控えるような気配を感じました。決意の音楽制作へ向かわれたのだと思います。20代最後の、とおっしゃっていたアルバムが完成し、昨年秋から少しずつ披露され、つい先頃発売となり、同時にDJを辞める道を選択されました。
4/1本日、FMヨコハマのバックアップで、植松さん司会の元、"Radio from Saku"と題する卒業を祝うイベントが藤沢市で行われ、当初よりずっとラジオを視聴していた私も、見届けようと足を運びました。
司会にはもうひとり、Lucky MeのDJであったケーナさんが九州から、このために来られました。同時に卒業となるファーストサマー・ウイカさんや、続投の平沢あくびさんも駆けつけました。他にも、びっくりするような方々からビデオレターでの参加があり、中でも中学時代にSakuさんとユニットを組んで音楽活動をされていたルミさんが登場し、次いでSakuさんが当時の曲を歌われました。中学生が作ったとは思えない、よくできた楽曲でした。
今日のようなイベントでも、お客を楽しませようと一生懸命な姿が印象的であり、代表曲を歌いながら客席を回り、予定に無かった飴を配るという(予定されていないので全く数が足りていない)場面もありました。タイトル画像に写っているのが私の頂いた飴です。
そもそも、中学時代にベースを習っていたとのことで、居住するエリア的に、私が教えていてもおかしくはない、全く記憶に無いけれどひょっとして私の生徒だったかもという疑惑が持ち上がりました。それは気のせいだとしても、進学された大学は、当時私が住んでいた家の近くでしたので、ニアミスをしたことがあったろうことは想像に難くありません。アコギを背負った若い女性など日に何度も見かけたものです。
SakuさんがSomewhereと名義を変えて出した楽曲群は、メジャーレーベルで作っていた音楽とは全く意趣が異なり、英国へ渡りたい気持ちを裏付けるに十分です。別の道を歩む人生が開かれていたにもかかわらず、ずっとうちに秘めた情熱を消すこと無く抱き続け、このように成果を上げられたことは、フィクションである岩倉舞の半生に通じるものがあります。トレセンが、彼等の言う「第二部」へ進むことで、あっという間の6年間が過ぎたことを教えてくれました。
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