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『東京都高等学校軽音楽コンテスト決勝』を見てきました

楽屋でバンド仲間と不眠の話になって、私の場合は枕に頭を付けてから3秒以内に意識を失い、気付けば朝になっていると話したら、とても羨ましがられました。多くの人がなかなか寝付けないようなのです。しかし今朝気付いたのですが、問題は夜中に目覚めてしまうことがあって、昨晩0時に床へ入って目覚めたとき辺りはまだ暗く、時計を見たら4時にもなっていませんでした。一度トイレに立って、6時半までは寝ようと思いましたが、その間は眠ることができませんでした。

そのような寝不足の状態で、9時過ぎには楽器を積んだ車を運転し、都心を目指します。明日からが夏期休業という業態が多いため、加えて昨日の地震以後注意喚起されている大地震への気構えも影響するのか、道路がめちゃくちゃ混んでいました。それにまして、私は所要時間を割と正確に出してくれるヤフーカーナビをこういうときは頼みにする中、目的地を入力したところ同名で別の所在への案内を開始させてしまい、30分程ほぼ逆方向へ走行してしまったのでした。約束の11時になったとき、目的地までの道程は、まだ半分ほどでした。

そこへ行き、引き返すようなルートで、本日の真の目的地である多摩センターに、この渋滞路を行くのは無謀であると判断し、予約のあった午前の訪問先へ断りの電話を入れて、進路変更しました。まったく何のための高速道路だったのでしょう。その出費と時間の浪費は全く愚かでした。

というわけで12:20に軽音コンテストの舞台となるパルテノン多摩へ到着、無益でしかない優に3時間越えのドライブが漸く終わったのです。もちろんクルマをパーキングに入れたら一目散にトイレを目指しました。

事前の調べでは開場時間が不明で11:45であるかのような表記をどこかで見ており、神奈川の例に倣えば12時開演と推定して、計画しました。ところが遅れるのを覚悟で来てみたら、まだ開場すらしていませんでした。

明確に何時、というのがわからないままでしたが、辺りの様子とキリの良さから13時開場、13時半開演と踏んで、空腹を満たすために一旦店舗のある方へ下りていきました。さすがに夏休み、付近にテーマパークもあるし、軒並み店外に行列ができているような混雑ぶりで諦め、コンビニでカロリーメイトだけ買いました。銀行を目にしたので、ギャラで頂いた新札を両替することにします。新デザインを初めて見ました。まだ至る所で「新札は使用できません」の表示を見かけるので、1000円札に交換します。

会場へ戻ると入場が始まっていました。なんか、ただ押していただけみたいな気がする…。

公式には13時開場だったようです

6日の投稿を読まれて、神奈川大会は面白くなかったと書いているように誤解されているとしたら筆の至らぬ不備を謝罪します。ひたむきさが全身から溢れ出ていて、たいへん面白かったし感動しました。1mmも批判的な視線は持たず、この先の、一層の進化を期待して応援したいと思いました。

27バンドの彼等が制作した楽曲について、類型的な点が見られたのが、ひとつ印象的で、多くはロックンロール的なテンポで8thノート。腕に覚えがあり、劇的なバラードを用意するところが12/8で数曲、ファンク調の16thノートも数曲。と、今の高校生は、こういうのを聴いているんだな、と考察が容易な風を感じました。傾向が似ている、というか。

そうした概念は、今日の都大会で完全に覆されることになります。

出演バンド数は24と、神奈川より3バンド少なく、運営を手伝う企業が異なるため(むろん会場も)進行の仕方がかなり異なっていました。神奈川はプロっぽいMCがそれらしく会場を巻き込んで上手に喋り、バンド転換時には暗転のまま無音で時間が経過しました。一方、都の方は顧問の先生がお二人でメイン司会とアシスタントというような体で進行し、転換時には演奏の終わったバンドのインタビューとセッティング中の次のバンドを紹介し、出演者からのコメントを代読しました。従って、大きく巻いた神奈川に対し、大きく押した都という対比となります。

全体では9バンドずつ3部に分けた神奈川、12バンドずつ2部に分けた都、ということで本日の方は、非常に濃密かつ長丁場となって疲れました。

しかしその疲労感は、内容の充実度の高さを物語る指標でもあります。ビジュアルも含め、音楽的指向のバラエティに富んでいました。70年代インスパイア、90年代インスパイアといったレトロなスタイルもあり、今の和ロック的なアイドルっぽさを再現したり、男子のみのパンキッシュでストイックなタイプ、テクニカルでない方向のプログレッシブロック風と、楽曲構成が多岐にわたり、外観がきちんとその世界観を演出するものになっていました。

その工夫と拘りの度合いが、非常に高いレベルで拮抗し、「仕上がる」一歩手前までは到達している感がありました。当然いるはずだと思っていながら、あまり見えてこなかった神奈川に較べ、才能と技術のレベルが人並みを超えた人材が多く存在していました。高校生って凄い、それを期待以上に見せつけてくるエネルギーにやられました。

グランプリを掠ったのは女性デュオでした。どちらもまず、器楽的な技術の水準が高い。特にベースを弾きながら歌う方は、エスペランサ・スポルディングや石川紅奈さんを彷彿とさせるものがあり、ピアノの方もしっかりと地に足の付いたリズムを保ちながら自在にハーモニーを歌っていました。これはすでにジャンルを逸脱して、彼等が思う「音楽」を形にしたものとして提示されました。

審査員5名による裁定の時間は、ゲストバンドが演奏をして繫ぎましたが、大幅に延長し、聴衆は待たされます。本日のハイレベルな闘いにおいて、客観的な数値で競えないことは難解さを極め、しかしこのような形に決着したことで、私は正しい判断が成されたと受け取ることができました。独創性で抜きんでて、その完成度を突き詰めようとする意識の高さを無視するわけにはいきません。

事前に公表されていなかったゲストタイムとは2022年、2023年に連覇したバンドの凱旋公演でした。その時の2曲を続けて披露、彼等の2年生のときと3年生の時の作品であり、3年の時、同曲は全国大会も制しました。これは歴史に残る偉業のようです。彼等は現在5人とも大学生、そのパフォーマンス、楽曲の良さは圧巻で、たった1年の歳の差でエントリーの24バンドを軽々と凌ぐ貫禄を見せました。聴衆の大半は軽音楽部の高校生、昨年の都大会も見ている者が多数いるようで、彼等は実際、プロアーティストのように歓待され、大いに盛り上がりました。

私はこうしたカルチャーに触れ、自身の過ごした高校時代との変化の大きさに驚愕しますが、同じ強度で羨ましく感じていました。今の子達は、大変でお気の毒だ、と思ってしまう年寄りのサガですが、学校が楽しい、部活が楽しいなんて、羨ましくてなりません。私に青春は無かったようなものなので…。(失敗ばかりの人生でした)。

さて、ここから書くことはエモーショナルに過ぎ、同時に公平性を欠くものかも知れません。私は、神奈川大会の出演バンドが素晴らしかったことは言うまでもないものの、都でもそういう感じなら、推しのバンドはグランプリ間違いなし、全国大会でも勝てるだろうと読んでいました。

表彰式で奨励賞が4組呼ばれても、彼等の名は出ません。準グランプリが2組、ここでも呼ばれません。グランプリ当確と思いきや、先述の通り意外なエントリーナンバーが呼ばれ、あぁそうか、そっちか、となりました。すぐに納得しました。でも。

彼等は入賞を逃しました。代わりに特別賞3組のうちの一つに入りました。この3バンドは、私自信も高く評価し、入賞予想をしていましたが、実際の入賞組の顔ぶれも、正当な順位だと認めます。それくらいに水準が上がっており、司会を務めた某高顧問の先生は、昨年までとまるで違うと仰っていました。

つまり、本日ゲストに招かれたバンドが2年連続で圧倒的な強さを見せたために、それを目の当たりにして奮起した成果だと考えられるというのです。

こんなことが、実際起こりえる、というのが奇蹟であり、音楽・文化・芸術の世界の興味深さでしょう。

そして、それでも私は言いたいのです。「推し」はやっぱり最高だったと。ハナちゃんは演奏が始まった直後に横を向いて破顔しました。その瞬間、大ホールのステージから見える景色に電撃を受けたのだと思います。その快感は味わってしまったら拒否することはできません。私はその笑顔を見た時に思わず涙しました。ありがとう。

ワカちゃん、あなたのギターソロの入りは、ここしかない!という完璧な一瞬を捉えて最高のトーンで世界を変えました。今日のギタリスト全員の中で一番かっこよかった瞬間です。鳥肌が立ちました。

リンちゃん、いつも穏やかに微笑んで可愛らしくそこに居るあなたは、どうしたってバンドに無くてはならない存在です。みんなが続けられたのはあなたが居たお陰ではないかと思っています。ありがとう。

モエちゃん、誰よりも音楽が好きな野心家で、人一倍努力を続けて来たことが初めて会ったときから匂ってきました。悔しかっただろうね。高校で夢は叶わなくても、人生は長いから、いくらでも欲しいものはこれから手に入れられる。もっと素敵なことが先に待っている。そう信じて、諦めずに続けてください。今日も輝いていました。

アキトくん、圧倒的なソングライターとしての才能に脱帽します。沢山曲を書いて、人々を幸せにしてください。作詞作曲をやった人の中で、今日はきみが一番でした。最高です。

たった60分のクリニックでしたが楽しい時間を過ごしたのは昨日のことのようで、今日の悔しさを分かち合いたいです。みんなを、これからも応援しています。

というわけで、あまりにもお腹が減って、もはや運転する気力もなくなったので、とりあえずカレー店に入りました。

*ご報告
先日、アキレス腱の腱鞘炎が、スポーツトレーナーによるパーソナルストレッチで快癒したかのような記述を行いましたが、それは当日までのことで、一夜明ければ痛みは復活し、また投薬と外用薬で凌いでいます。完治したと誤解を招きかねない表現でしたので、ここにお詫びいたします。

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