軽音楽部のコーチングを考えてみる その5

コンテストで審査されるのは何か、あれこれ資料を探してみました。これは言うまでもなく、各開催の趣旨によってまるで異なります。私が依拠すべき情報は、学校が参加する連盟が主体となって行政の後ろ盾がつくような、できるだけ「公式」に近い大会に絞ります。とはいえ、審査基準を明文化したドキュメントは見つかりませんでした。

Tokyo-Keionのサイトから都高文祭への実施要項が見られます。14ページにわたるPDFの中に参考資料として審査用紙が載っています。審査は4項目に分けて各5段階評価で行われます。しかし評点の合計だけで評価しない、また大会に関わる全ての時間においての言動や態度を審査の対象に加えるとあります。項目は以下の通りです(具体的な評価内容も併記されています)。

1. 演奏技術 個人の技術およびバンドとしてのまとまり
2. 作詞・作曲・アレンジ力(オリジナル曲の場合)、完成度(コピー/カバー曲の場合)
3. 表現力 ステージングやパフォーマンスに加え、どれだけ自分の思いや情熱を表現できたか
4. 魅力 どれだけ感動を与える演奏ができたか
さらに用紙には大きくコメント欄が割かれており、各審査員の印象が不足なく書き込めるようになっています。

なにかこう、分離して語ることの難しい評価軸に感じます。たとえば3と4は表裏一体な気がしますので、どちらかだけ高いということはなさそうです。1、2は基礎的な音楽力を見るのでしょう。2で言う、曲が良ければ4の魅力は高まりますし、1のレベルが低いけれど、3の表現力は高いというのは矛盾に感じ、どうも私の感覚では良ければ一様に点は上がる気がします。演奏は未熟だけど、魅力あるよね、ということは無くはないと思いますけど。

5分間の演技に対して、運動部の、たとえば体操の床だったりすれば規定演技にポイントがつき、たしか全審査員の一番高い評価と一番低い評価は除外するんでしたっけ?感性評価を平等に行う工夫がなされているけれど、こちらはいかがでしょう。非常に主観的なものになりそうです。審査員は大会主催者と関係の深い専門学校講師といった方々に移譲されるそうです。審査員となる人々に、公平性の意識は高くあるはずですが、見た中での「お気に入り」を推す姿勢になるのは否めないのではないでしょうか。

入試のように配点から逆算して対策を練るのが不可能な気がしてきましたので、私が審査すると仮定して、その審査用紙にどのように記入するかを考えることにします。要は魅力的である状態を、どう分析的に語るか、という問題かと思います。高評価を付けるパフォーマンスということでは、連動して全項目が上がってくるはずですが、むしろ不足しているのは何か、を見つけて減点していく方が容易かも知れません。

(仮の)審査員、という立場ですが、一観客です。オーディエンスとしては楽しめたか楽しめなかったかが軸となります。その場にいてリアルタイムに表現を共有するところに、楽しみはいかに生まれ、それはいかに阻害されるでしょうか。

おそらく最初に、舞台マナーがこなれているか、不慣れな戸惑いを表すか、はそのバンドが優れているか否かを印象づける要素でしょう。板付きから落ち着いていて、淀みなく曲がスタートし、引き込まれるうちに終演となる。人の視線に晒されている全ての時間に対して、見られている・見せている意識が途切れないことが望まれます。アマチュア、しかも高校生、であることを言い訳にはできません。たとえ初ステージであっても、セッティングにもたついて無駄な音出しをだらだら行っているようでは、その先を期待することができません。「落ち着いている」「馴れている」感は、楽曲を聴く体勢にこちらを誘導してくれます。私は、これに不満を覚えれば3(表現力)を減点するでしょう。

一発目の出音も注目です。とある、指導を行ったバンドが4小節のドラム(パターン)ソロから演奏開始するのに、声とスティックでカウントを出しました。その一部始終を見ていると、カウント出たのに他のパートが鳴らないのは事故か?と一瞬思考が乱されます。その攪乱は意図した演出ではなく、本人の気合いのためだと言いますが、オーディエンスからすればやや滑稽に写ります。演奏開始の瞬間を共有し、バンド全員が同時に集中モードへ入るのは当然のことですが、そこは目配せだけで済ませて、ソロならば一人で出るべきです。可愛らしいと言えばそれまでですが、審査ではやはり3(表現力)を減点することになります。

曲がスタートし、全員が演奏している状態で、誰かの音が極端にでかい、小さい、歌が聞こえる、聞こえないなどの音量バランスが悪い場合は1(演奏技術)を減点します。最も重要なことを言いますが、ボーカリストの歌から歌詞が聴き取れなければそのバンドは駄目です。前にも書きましたが、PAオペレーターの仕事だけでは補えないことなのです。歌詞がわからなくても許されるのはデスメタルだけですかね。そこに歌がある限り、歌(ことば)を「聴かせて」くれない限り評価のしようがありません。

もちろん、ボーカリストの表現というところもありますよね。声を張らないボーカルもありです。声量の小さい方も、歌いたい思いから担当する場合はあるでしょう。しかし、それを生かさなくてはなりません。バンドが、もし上手ければそうした特性をちゃんと理解して自身の演奏内容を作ることができます。できなければ下手、ということになり1(演奏技術)の減点です。

ソングライティングには可能性があり、若い人が作る音楽に期待しています。私は歌詞を重視します。聞こえてくる言葉がパフォーマンスしている「あなた」の真実の声として胸に届くかどうか。選ばれた言葉に力があるかどうか、それが歌唱によって伝わるかどうか。歌詞は抜き出して文章として整わなくても構いません。断片を音楽に乗せるだけでも意味が生じる場合が有ります。それを発見できたかどうか。「あなた」が自分の心の奥を見つけたのかどうか。その作業はどこまで突き詰められたか、を知りたいのです。

私は「あなた」が生きる上で避けられない苦しみの中で、自分を慰撫し許すための言葉を発見する過程を、音楽の行為を通じて想像します。そうして、一人の人間と出会うことができたとき、心が動かされたと自覚するのです。こればかりは、引き込まれさえすれば2(作詞作曲アレンジ力)は満点でいいです。発見した、という喜びが表現をする自信になります。それだけでいいとすら思います。もちろん言葉(歌詞)について述べましたが、メロディも同様です。「あなた」が素敵だと思えるメロディを見つけた感動が、私に伝われば、その楽曲には100%の価値があります。

では2の減点対象はなんでしょう。「あなた」の意識に触れていない、ありきたり、あるいは嘘っぽい言葉。何かの影響で「あなた」が自分自身と思いながら他者の感覚に浸食され錯覚しているような状態。その齟齬に気付いていないような作り物感、を私は厭います。まだ「見つけられていない」のだとしたら、もっと掘り進めて探り当てなければなりません。そこまで届いていないのならば「創作」に高得点を上げられません。

そのような作り手にとっての「リアリティ」は作為的な制作過程だけで得られるものではありません。作曲という面で、これはテクニカルに仕上げることは不可能ではないのですが、その音の動きを信じている「あなた」がそこに居ないことには空虚に鳴るばかりの音楽です。そのために必要なのは聴く能力でしょう。音量について口酸っぱく言うのも、聴けているのか?を問うからです。手足を動かすだけでは音楽になりません。

4(魅力)が残りました。1とも絡みますが、演奏が、聴いていて気持ちが良いかどうかは、ひとつのポイントです。2のアレンジ力にも関連して、どうも高校生は難しい技を随所に挿入しがちな傾向があって、聴いていて引っかかってしまいます。我々の誰もが味わえる音楽の楽しさは「乗れる」ことで、演奏が開始し終了するまで、変なつっかかりを与えず、気持ちよく乗せきって欲しいと願います。リズムは、即ち物語であると私は感じます。

それでは退屈だと、我々は変革を起こすのだと、アンチテーゼを唱えるのならば、完璧にこなせなくてはなりません。私が目にしたいくつかのバンドは、巧妙に仕掛けを入れるのですが、それが失敗した(リズムが転けた)ように聞こえる場合が有りました。とあるバンドは、6/8拍子で4小節目と8小節目に8/8(6/8+2/8で要は3連符の1音符分が不足する変拍子)が挟まるアレンジをギターソロのバックで展開しました。私、聴いていてそれを失敗と思ったのですが、譜面に起こすとドラムとベースは合わせているんですよね。それで狙ったことが判明するのですが、やはり生で聴くと転けてると感じる。特にギターソロ後に歌が戻るのですが、変拍子後に歌いはじめるから、ボーカルが突っ込んでるようにしか聞こえないのです。難しいことをやるのに、かえって下手に聞こえる、じゃぁ本末転倒ではないですか。アイディアを否定しませんが、ちゃんとそれを意図してやっていると分からせる工夫がもう一段必要です。

作曲における部分転調の技も同じです。ライブの動画を見させて頂いて?と思うところがあり、ギターがコード間違えているのかなと、その時は判断するのですが、デモ音源(作曲メモ)を聴くと、ちゃんとそうなっていました。歌いにくいだろうな、というのが第一印象と、やっぱりその細かい転調に説得力を持たせるには、コード楽器がギター一本であったり、ベースが動き回ったりしていたら分かりづらいのではないかと思います。なにか補佐する音が必要です。

総じて言えることは、思い付きを取り入れるには、それをわかりやすい形にまとめなければ駄目ということ。音楽理論云々の難しい話はしません。気持ちよく聴けるように配慮して貰いたい、そうでないと聴く側が楽しめない。私には、先走り感と、処理しきれない能力不足が頭を過る瞬間、せっかくの夢から覚まされてしまう残念な時間となります。気持ちよい時間は、最後まで乱さないでほしい。

「魅力」が審査項目4でした。好みも加わりますよね、ビジュアルも大きな要素であるし、演奏時の動きにダサいとかカッコいいとか感じることを否めません。ただ、私が審査を行うとしたら、自然さに高評価を付けるかな。練り上げた音楽で、思いを真摯に伝えようとしたときに発生する、コミュニケーションが動きに現れていると心打たれます。

「完成度」という言葉は審査項目2において、コピー/カバー曲の場合にポイントを与えることになっています。しかしこうして見てきたとおり、ステージマナー、言葉の深さ、気持ちよい時間の提供といったエンターテインメント性の完成度が、どれだけ期待値を超えるか、といった部分で項目4を採点します。インパクトが大きければ5を与え、欠点(残念な感じ)を見いだすごとに減点されるでしょう。

さて、審査用紙を見ながら思いつくままに語り長文になりました。自分のこうした視座を詳細に検分することなく、とりあえずアップロードしますが、不足を感じれば稿を改めます。審査員は複数人おり、入賞者は合議制で決めるものと思われます。審査会議で的確に発言するために用紙のコメント欄にはインプレッションを残し、それに基づいて意見交換するのでしょう。審査員の加点基準が異なれば票が割れてスムースには決まらないでしょうけれど、ダントツだなと思われるバンドが現れれば、勝利者は簡単に決まるはずです。目標は高いほどいいので、軽音部員の方々は、そこまでの説得力を目指してほしいです。是非「仕上がってる」と言わしめてください。



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