FinaleのFinale
ノーテーションソフト、楽譜を出力するためのアプリとして業界のスタンダードであり続けたFinale(フィナーレ)の開発とサポートが終了するとの宣言が、昨日突如として舞い込んできました。何かと問題を抱えながらも、音楽家必携のツールとして、私自身も長い年月を共にしましたし、現時点でも多用する、ていうか使わない日は無いアプリケーションとして最も重用してきました。
私もお世話になったことのある浄書業界の重鎮やヘビーユーザー、識者の皆様が急遽、深夜にもかかわらずX上でチャットミーティング(この機能の正式名称を存じておりません)を立ち上げ、しばらくの時間、聴いていました。技術的な話題から、これからどうする、というところまで忌憚ない発言が伺え、この衝撃がいかに大きいものかを痛感したものです。ちなみに、その時のトピックが”FinaleのFinale”という洒落たネーミングでしたので、本日はタイトルに借用しました。
ページ記述言語であるポストスクリプトを基軸にしたノーテーションソフトの先駆けであって、書き出したファイルをアドビのDTPアプリで読み込んで出版の版下にする、こうした流れを最初に可能にした音楽ソフトかと認識していますが、今後、この役割は他のソフトで賄えるのでしょうか。業界に激震が走ったと言って過言ではありません。
公式に、SteinbergのDorico Proへ移行することが推奨されています。Steinbergはヤマハの傘下ですので、ドリコのシェアは今後、安定的に高まることでしょう。問題は、Xで伺いましたが、Finaleのファイルを直接ドリコで読めないということ。これで多くの資産が失われることを意味します。ノーテーションソフトの命はレイアウトであり、その設定が完全に失われるからです。五線上の情報など、全体の手間からすれば数分の1でしかありません。レイアウトの自由度がFinaleの真骨頂であり、手仕事の職人であった浄書家が納得できる美しさを再現できる潜在能力が、そこにはあったのでした。美しい楽譜は、それだけで芸術的な価値があると考えます。
私自身は、まだ日本語ローカライズがされる前の英語版から使用開始しており、日本語版が出れば7〜8万円の価格で購入し、その後の年次改良に対して15000円程度のお布施を払い続け、バグフィックスの行われた最新版を常に使ってきました。OSの進化が、この単一のアプリケーションの動作環境をめまぐるしく変えていくための対処でしたから、目的と機能においては本質的に何も変わることはなかったです。ただ、今後それを維持するのですら、コスト的に見合わないという経営判断がなされた模様です。私の2013年製iMacは、そうした古いアプリを稼働させるために、今も現役でありメイン機です。技術革新とは何のためのものか、業界は再考して欲しいと思います。
そのiMacのローカルディスクに残る、一番古いFinale Notation Fileは2003年のものでした。