軽音楽部のコーチングを考えてみる その6

前回はコンテストがどのように審査されるかを想像しました。同じ条件でパフォーマンスを見較べて優劣を付けるのがコンテストであり、その日の1番を決めるイベントではあるものの、そこで付けられたレッテルは当人にとっては重いものとなるでしょう。学校代表として選出されたなら、すでに同朋を蹴散らした責任を背負っており、勝たなくては面目が立ちません。しかしそれは部活動の表層であり、音楽に携わるという本質面では、期間を区切って成果を出さなくてはならない、という掟はありません。

自校のメンバーが表彰されるのを望むか、自主的に楽しくやっていればよいと考えるのか、学校、あるいはその時期の顧問の考え方によって部活動の内容は大きく異なります。ですから、私が軽音楽部を支援する外部(仮)コーチとして何ができるかは、お声がけ頂く学校によって違ったものになるでしょう。コンテストに勝てるバンドを輩出する「強い」学校を目指す(あるいはその状態を維持する)のか、顧問の先生の苦心だけでうまく行かない領域のみを補佐すればよいのか、そうした事情を、むしろ私の方から把握して臨む必要があります。

ここではもう少し、強化を目指す学校のお手伝いについて、考えを進めます。コンテストで評価されるポイントについて私見を述べましたが、日常にできる対策はどんなことでしょう。もちろん練習環境、特にその音響的な改善などは重要ですが、それについては後へ回すことにします。そしてまたくどくどと前提となる視座を明らかにして参ります。より一般的な話であり、日々講師業を行う上で感じることでもあり、その長年の経験から持論としては確定しています。

学者ではないから論文調にまとめられませんが、音楽を続けるために不可欠なのは、私は楽譜を読む力だと考えます。プロになりたいわけじゃない、楽しめればそれでいいといった、ある種の言い訳を、習いにいらっしゃる方の多くが異口同音に訴えます。私たちの営業部隊は、うちのレッスンは楽譜が読めなくても大丈夫ですとアピールし、楽器習得へのハードルを下げるのに熱心です。難しいと先入観を持つ方、昔やろうとして挫折した方、音楽に関心はあるけれど怖さも抱いている方々が本当に多いのが、日本の教育機関が植え付けた「音楽」のステイタスだと思います。

まぁ歌でも演奏でも達人になるには修業が必要で、その進化の速度が生きる時間に間に合うためには高い習得スピードをもたらす「才能」が不可欠なのを痛感しています。私はギター、ベース、ウクレレといった弦楽器を教えていて、私の属する教室ではタブ譜を用意します。オフレコかもしれませんが、教える講師がタブ譜しか読めない方もいるくらいなので、それが「今」という時代ならば仕方の無いところではあります。タブ譜の問題点を指摘するのが狙いではありません。タブ譜があるから譜面読めなくても大丈夫ですよ、という呼びかけは、タブ譜を使って演奏はできるが、タブ譜は楽譜ではないと言っているようなものです。そして実態はタブ譜すら読めない方の多いこと。

タブ譜は弦を表す横線(ギターなら6本線、ベースなら4本線といった)上に押さえるべきフレットが数字として配置され、一般的な五線の楽譜に併記(漢字にフリガナを振るように)されたり、あるいは楽譜のルールに従ったリズム表記と組み合わせて単独で用いられたりします。ウクレレを習いに来られているご年配の方々の殆どは、メロディを弾くのに、数字をただ順に追って音を出し、それがその曲だと思うようです。

私は、それで楽しい、できた、嬉しい、といった感情が湧くのであれば大変幸せなことなので素晴らしいと思います。ですが、みんなで一緒に弾くと、当然のことながら合うわけがなく、わからない、難しい、できないと意気消沈することになります。リズムを自身が取ること、その拍を基準として鳴らすべき音のタイミングが決まっていることなどを、論理に偏らず、実際の体の使い方を含めて都度示しますし、真似をしていただくのですが、やはりそもそも「リズム」という概念を持たないために、伝達には大変苦労します。

楽譜を読める、というのは、楽譜を見ると脳内に音楽が再生され、聞こえてくるという状態とは違います。もちろん訓練を積めばそういった状態は作ることができますが、私は、それは文字であり、発語できる、一種の外国語の記述、それが楽譜だと考えます。この話もここで掘り下げる必要のないことなので終えますが、読譜能力は音楽の理解力がある、と言い換えることが可能だと主張します。逆を言えば、音楽は、その全てではないが、要旨を言語のように記述できることが明らかです。

生徒さんの一人が、75歳を迎えて、もう歌が覚えられないと仰いました。歌のレッスンでは楽譜が用いられます。ですが、それを先生が歌って、録音し聴き直して覚えて歌うというルーティンでやってきました。顔前に楽譜を開いてはいても、目は歌うべき所を追ってはいません。結局20数年続けて来たけれど楽譜は読めるようにならず(指導方針の結果として)、新しい情報を覚える能力が衰退する実感は、音楽を断念させる方向へと気持ちを傾けます。

バイオリンやフルート、サックス、トランペットなどではどうでしょう。演奏は体に負荷をかけるので、音出しが辛くなって止める時はいつか来るでしょうけれど、ずっと楽譜を読むことで練習を続けてきていますから、覚えられないから弾けないとはならないのです。生涯にわたって音楽を楽しむならば楽譜は読めた方が長いですし、ピアノが一番簡単な楽器だと極論する説を散見するのは、楽譜との親和性が高いからなのだろうと思います。

私は、軽音楽をやっている若い方々に、本音では楽譜の導入を進言したいのです。オリジナル曲を書いたら、文字通り楽譜に起こしてみてほしい。それはメロディラインを音符にしなくても良いのです。小節を切ってコードを配置し、その下に歌詞を割り振っていくだけでも構いません。音符が一切なくても、限定的には楽譜として機能します。

どこかにリズムの変わり目があったり、みんなで合わせるフィギュア(キメ)があったら書き込むといいです。Aメロが何小節で、どこを何回繰り返して、といった情報が簡単に参照できます。こうした作業によって音楽の認識が深くなるし、共有されればアンサンブルのアレンジ作業が効率的になります。曲中の問題点を素早く指摘し合えるし、部分練習のやり残しが無くなります。といったメリットばかりですが、まぁなかなか浸透しません。

ここらは本音であって、では指導にあたって、すぐにでも生徒自身にそれをやってもらうという試みには勇気が要ります。本当に重要なことって、伝えるのは難しいし、誤解も受けやすい。嫌われたら終わり、といった懸念もあります。というわけで、本稿でのみ開陳するに留めましょう。

で、あるバンドを指導する際に、そのバンドの演奏動画を送ってもらい、私自身でバンドスコアを書きました。ライブをスマートフォンで撮っただけなので理想的な音質ではなく、聴き取れないところも多々ありましたが構いません。それによってギターがどのコードを弾いて、ベースがどう動いているか、音を外したボーカルが実は何を歌おうとしていたか、そうした「あるべき姿」が確実に浮かび上がってきます。

前回だったか、変拍子が間違って聞こえるという実例を語りました。それも採譜によって「仕掛け」だったことが判明しております。一聴して感じる違和感の原因を、部分的に繰り返し聴いて探り当てたというわけです。仮にそれが素晴らしいアイディアだったとして、一期一会の場で、それとわからなければ価値がありません。と、私の採譜作業は、そのように結論づけました。

私はそのバンドのボーカリスト(作詞作曲者)が歌い回しのリズムがとてもいいと思い、シンプルな曲ですが、上手に作れていることを感じました。譜面という資料を手許に置き、彼/彼女等がやりたいことを類推し、それを活かしながらレベルアップを図れるよう助言したつもりです。

指導の現場では、ベースラインがその音を弾くと全体としてこう聞こえるけれど狙い通りなの?、みたいな確認をしていきます。ベースがそうやりたいなら、その時ギターはちょっとだけこうした方がいい、といったアドバイスを送ります。ギターソロの冒頭フレーズが、他セクションの歌メロの入りに似ているから音を変えみたら?、とか。押しつけはしないつもりですが、介入しすぎでしょうか。私なりの試行錯誤です。

アドバイスの仕方に、より良い方法がないか模索しなければなりませんが、彼等自身が客観性を持ってオリジナル曲に向き合い、ブラッシュアップを図るために、私たちは音楽の構造的な理解を共有する必要があり、バンドスコアを書いて持っていったのは、役立ったことを確信しています。

軽音部の作るオリジナル曲は楽譜化せよ、と強要するつもりはないけれど、私が楽曲を評価するためにスコアを作るのは、手間をかけても結局は時短になるからです。それは恐らく彼等の知らない世界線であり非効率を避けたい大人(プロ)のやり方なのです。たとえばレコーディングならばエンジニアはスコアを見ながらミックスを作ります。上に行きたいならやってみたらいい。まぁパフォーマンスは暗譜必至だけどね。

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