ぼくらが目の前にしてるウクライナの戦渦は、今年の2月24日、どこかの大統領が「特殊軍事作戦」を発表して始まった。それから1ヶ月以上、もうひとつの国の大統領が、あちらこちらの国の国会や議会でリモート演説しているらしい。でもぼくは聞いていない。コメントも飛び交っているらしい。そんなもの読みたくもない。けれどそんな今だからこそ、耳に飛び込んでくる曲がある。例えばピンク・フロイドに「戦争の犬たち」だ。
初めて聞いたのはナポリだったと思う。「戦争の犬たち」は、1987年のピンク・フロイドのアルバム『鬱』(A Momentary Lapse of Reason)の収録曲だけど、ぼくはこのアルバムをカセットテープで聞いた。ナポリの路上で売られていた違法コピーを買ったものだ。だから音質も悪かった。それでも何度も聞いたものだから、テープが伸び切ってテンポに狂い出ていたのだけど、それでもなお聞いていた。その響きは、かつて大ギリシャのポリスだった古都での暮らしと記憶と結びついている。
そんな「戦争の犬たち」の響きが今また飛び込んできたのは、もちろんその歌詞の内容がウクライナの状況と響き合うからだ。作曲はギルモア、詩はアンソニー・ムーアとの共作である。ムーアといえばスラップ・ハッピー。このバンドが2017年に久しぶりに来日したとき渋谷のステージを見た記憶がある。そんなにファンだったわけでもない。誘われたので行っただけなのだけど、これがまたすごくよかった。シンプルでアットホームで心がほぐされてゆく心地よさがあった。
そんなスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアが、どうしてピンク・フロイドの歌詞に参加したのか。そのころピンク・フロイドは、『ファイナル・カット』(1985)を最後に、ロジャー・ウォーターズが抜けた直後だったからだ。ウォーターが作り上げた世界観を、うまく引き継ぐような歌詞が求められていたのだろう。そこでムーアが呼ばれて、新しいアルバムに協力したということらしい。
ムーアとギルモアの歌詞は今から35年前のもの。読み直せば、今の状況にピタリとあてはまる。予言ではない。そこに読み取れる当時の切迫感が、今のそれと何も変わるところがない、そういうことだと思う。当時、ギルモア/ムーアの念頭にあったのは、ドナルド・レーガン大統領(任期:1981-89)の軍拡路線だったのだろう。ウォーターズによる『ファイナル・カット』(1983)でフォークランド紛争(1982)への批判に続いたというわけだ。
しかし、レーガン大統領は軍縮を蹴飛ばし、軍拡路線へと舵をきり、戦争の準備は進めるのだが、「戦争の犬たち」が歌われたとき、まだ戦争を始めてはいない。アメリカによるパナマへの軍事侵攻は1989-1990年のことだから、この曲の後のできごとだ。だからだろう。この歌詞には今にも戦争が始まりそうな、そんな緊張感が漂っている。
それだけではない。レーガン大統領は共和党の政権だ。共和党は小さな政府をめざし、民主党のような大規模公共投資政策とは逆をゆく。つまり大規模な減税だ。レーガンも減税を行った。市場のことは市場に任せよ。いわゆる市場原理主義というやつだが、これで経済が回復する。レーガノミクスである。ただし、そのレーガノミクスによって解き放たれたものたちがいる。ネオリベラリストたち。ぼくはどうしてもそこに「戦争の犬たち」を見てしまう。
おそろしいのは、それから35年たった今でもなお、「戦争の犬たち」が生き残っていること。生き残っているどころではない。ますます元気になってきているように見えるではないか。誰か悪いやつを選び、祭壇に祭り上げて、あとは火を放てばよい。音を消したモニターの向こうに見える修羅場こそは、市場に相場を作ってくれる格好のエネルギーなのかもしれない。
そんなことを思いながら、この「戦争の犬たち」を訳してみた。ご笑覧。
戦争の犬たちと 憎しみに駆られる男たち ぼくら大義なしで差別はしない なにを見つけ出そうと 破り捨てられるのがオチ ぼくらの通貨は肉と骨なんだぜ 地獄が開いて売り出に出されたら 周りを囲んで値切るわけよ 現金のため嘘もつくし騙しもする ご主人たちでさえ ぼくらの紡ぐウェブには疎いんだから 世界はひとつ そこが戦場 世界はひとつ ぼくらが叩き潰す 世界はひとつ 世界はひとつ 不可視の送金 長距離電話 大理石のホールには空虚な笑い もう手続きは終わったんだ 無音の大騒ぎによって 戦争の犬たちが解き放たれたんだ 始まったものは止められないんだ 署名され 封印され 届けられるのは忘却なんだ 控えめに言って 誰にでもダーク・サイドはあるもじゃないか だいたいさ 死を扱うのが野獣の本性なのだからね
世界はひとつ そこが戦場 世界はひとつ だから叩き潰てやる 世界はひとつ 世界はひとつ 戦争の犬たちは交渉しない 戦争の犬たちは降伏しない 奴らは奪い おまえは与え そして死ななきゃ 奴らは生き残れない どのドアをノックしてもかまわないぜ どこに入ろうが奴らが前に来ていたんだぜ そりゃね勝者が負けて物事が歪むこともあるよ でもさ 何を変えたってあの犬たちは残るわけよ 世界はひとつ そこが戦場 世界はひとつ だから叩き潰してやる 世界はひとつ 世界はひとつ 世界はひとつ 世界はひとつ 世界はひとつ 世界はひとつ
ピンク・フロイド「戦争の犬たち」アルバム『鬱』(1987)より YouTube のクリップと、原文も載せておきますね。
Dogs of war and men of hate With no cause, we don’t discriminate Discovery is to be disowned Our currency is flesh and bone Hell opened up and put on sale Gather round and haggle For hard cash we will lie and deceive Even our Masters don’t know the webs we weave One world, it’s a battleground One world, and we will smash it down One world… One world Invisible transfers and long distance calls Hollow laughter in marble halls Steps have been taken, a silent uproar Has unleashed the dogs of war You can’t stop what has begun Signed, sealed, they deliver oblivion We all have our dark side to say the least And dealing in death is the nature of the beast One world, it’s a battleground One world, and they're gonna smash it down One world… One world One world… One world The dogs of war don’t negotiate The dogs of war won’t capitulate They will take and you will give And you must die so that they may live You can knock at any door But wherever you go, you know they’ve been there before Well winners can lose and things can get strained But whatever you change you know the dogs remain One world, it’s a battleground One world, and we're gonna smash it down One world… One world One world… One world One world… One world
Dog of War form Pink Floyd, "A Momentary Lapse of Reason" (1987) lyrics by D. Gilmour and Anthony Moore