あの頃のichibanと、いまこの瞬間のGOAT
Number_iというグループ名と、” No.1 , ichiban 〜”と歌うichibanは、まったくの無関係ではないだろう(と思う)。もちろん、権利だとか契約上の関係なんて何一つないにしても、平野紫耀の、神宮寺勇太の、岸優太の人生において、彼らのしてきたことが、その過去と今と未来が、無関係になることはこの先もないんだぜと思って、私は今日も生きている。いい名前だ。
あの日、5人のうちの3人が脱退して、King & Princeは2人になりますというご報告動画を見た日から、私はずっと拗らせていて、今も、全然余裕で拗らせていて、その大きな要因となっていることの一つに、おもっくそ “ 離れ離れなし 全員連れてく ”と歌っている「ichiban」という楽曲にある。……一曲のうち3回も言ってるのに……(ぐすん)。だってichibanが世に放たれたのが2022年6月。脱退発表が同じ年の11月。その展開に「ウソだろう!!!!!!!!!」と絶叫したのは俺だけじゃないハズだ。一体何があったんだ(ふりだしに戻る)。
だから、私にはこれからも「ichibanとはなんだったか」の答え合わせをする必要があるなと思っていて。もともと、「原点であり頂点であるシンデレラガールがセトリ落ちする、いつか必ずくる贅沢なそのとき」を私は楽しみにしていて、次に彼らを象徴するichibanが爆誕したことは嬉しかったので、ご報告される前も、された後も、ichibanについては散々語ってきたと思う。語り尽くし、もう語れることはないところまで(夢は終わってしまった、と思った)。
そして2024年、Number_iからGOATが発表された。グループ名にしても、歌詞の内容にしても、「おや」と思う。もし彼らの名が、Number_iでなかったら、こんなことは思いつきもしなかっただろうけど、あの頃のichibanが、どんな思いで、誰に向けて、何を歌ったものだったのか。今のGOATが、どんな思いで、誰に向けて、何を歌ったものなのか。その変化を比較して、「ichibanとはなんだったか」をあらためて読み解きたいと思う。できるかどうかわからないけど。
まず、タイトルやサビから読み取れる楽曲の大きなテーマである部分。
ichiban: 「 No.1 1番 ただやる 一心不乱〜」
〜 貪欲にNo.1を目指す、高く夢を掲げるどストレートな楽曲。
GOAT:「 GOAT… 〜 I'm the New GOAT 時代を背負う」
〜 Greatest Of All Time(史上最高の)、そして我々は新しく君臨したGOATなるものであるとおっしゃられてる。
↑ テーマからもすでに、進化を感じる。よね。時計の針も進んでいる。夢を叶えるのにはいくつもの段階があるけど、彼らは「自分たちの時計の針は、今どこにある」と認識していたんだろうか、と比較すると、
ichiban: 「さぁ行こうか 時はついに満ちた」
「これはきっとまだ物語の序章」
〜 5人のKing & Princeが、スタートラインに揃った絵が浮かぶパート。サビでは「No.1 1番」を高く掲げ、さらに「気がつきゃトップ独走 ウイニングラン」とまで言うけれど、自分たちのストーリーはまだ何もはじまってはいないんだという「意地」が見える。俺たちが(現時点で)No.1だぜって曲ではないのよ。本当によくできてる(ため息)。
GOAT: 「ほら DAN DAN DAN と聞こえてきた Music」
「これ聞いてんなら伝わってんだろ」
「間違いじゃないこれが俺の Answer」
〜すでに音楽は鳴りはじめていて、伝えたい思いは明確で、答えとなるものを「これ」と明示している。ichibanが彼らの目標、辿り着く先、そのための強い意志であるなら、GOATは手段、そのための自分たちの武器を示しているのかもしれない。
「Now This Is My Masterpiece」
「I'm the New GOAT」
〜あたりは特にはっきり ”今の、自分 (=GOAT)” を示したワードだと思う。ほかにも”今の、自分”について言っているのが「 " 俺 "のスキルは 健在(←Now) 」「アプデ " Version_i " こんなタイプ”未だ”(←New)見たことない 」あたりかな。
つまり、2つの曲のそもそものテーマと、彼らがこの2曲で示してきたものは異なっているように聞こえて(=時計の針は進んだ)、…環境の違いというか、物語に重要なかたきとなるものはなんなのかにも違いが表れている。
ichiban: 「時代のニーズとか 誰かの期待通りとか」「予想や想像通りのストーリー」「これで勝ち確定 (とは言われても)」「楽勝 言わないよ流石に」
〜前提として、ある意味何かにとっての、誰かにとっての「すでに勝ち組」にいる、というのが絶妙に表現されていて素晴らしい。シンデレラガールでデビューしたKing & Princeだけのストーリーというか。そこに ” まさかのまさか ” というワードが入ってきて、「すでに勝ち組にいる」ように見えるグループの、急展開への期待感が高まる。
「混乱のがんじがらめ」「まだ解決法のない絶望」「無理と思われたディスタンスも」「迷い 怖がり 進めずにいる(なら)」
〜”King & Princeだけのストーリー”のなかに、対比となる「がんじがらめ」「絶望」「無理」などやや重めの表現があって、そこにこそichibanの存在意義がある。結局勝ち組は勝ち組でも、この段階では”何かを抱えながらの勝ち組”なのよ。
それを「ただやる 一心不乱」「信じた通りのやり方で 感じ方で」「風掴み 常に上へ」「やると決めたらやるだけだ」「飛び越えて届けるよ」…さらにトドメは「進み続けるのが大事 ひたすらに 口だけじゃなく行動で導き出す 行き先 俺らが道切り拓く」…一曲通して、この瞬間に自ら踏み出す、自らのパワーで打破するという思いを感じる。あらためて、相当だよね。
GOAT: 「間違いだらけの世界に」「サイテーな世界」「入れるモザイク (But〜)」「 窮屈なスーツがバブー 」「 (あれもしたいし これもしたいが) Follow the rules」
〜その一方ですよ!ichibanは絶望といいつつ、すでに勝ち要素も描かれているだけに、立ちはだかる壁も自分たちが前進することでなんとかするって勢いも感じたんだけど、GOATから見た敵は、…書き連ねると露骨で笑っちゃうwどんだけ言うねんwって。敵を雑に扱うことで、主役は自分たちだと言ってるんじゃないでしょうか(憶測)。だって大事なこと言ってます。「すべて込めて愛( i )に変える」だそうです。いいと思う!
最後に、私的にこの2曲が歌われている環境の違いを感じたのは、誰に対して、誰の前で歌っているのかということ。
ichiban: 「さぁ行こうか」「離れ離れ無し 全員連れてく」「進めずにいるなら この背中をフォロー」「君の行く場所は 他じゃないよ ここ」
〜 そもそもichibanはMade inというアルバムのリード曲で、そのアルバム(とそれに伴うツアー)のコンセプトが、キンプリがたどってきたルーツをもとに“目の前にいる人を幸せにするために今できること”だったはず。つまり、これまでのあゆみの中で自分らに着いてきたファンがさ、いるんだよ目の前にすでに。だからこそ、あれ?俺らもこの物語の仲間だったかな?みたいな印象の言葉選びがされてるように思う。
GOAT: 「間違いだらけの世界に生きる Brother 俺らについてくりゃ見せてやる」「君の脳内はもう踊らずにはいられない」「 君の前で Love のメッセ これ聞いてんなら伝わってんだろ」「君に見てほしいんだ」「君の前で夢叶える Me Let Me」
〜GOATは初っ端が「間違いだらけの世界に生きる Brother 俺らについてくりゃ見せてやる」なので、一概にファンだけでないようにも思えるし、これまでいたファンに対してのようにも思える。この言葉からストーリーが始まって、→(この音楽を聴いた)君の脳内は踊らずにいられない→Loveのメッセ伝わってるでしょ→君に見てほしいんだ(「But コントロールはまだ So-so」だけどね)→君の前で夢を叶える、と君との距離がどんどん近くなっていく様子が描かれている。どんどん虜にしていって、離さないとでもいうような。熱量が増していくというか。その変化も今後楽しんでいきたいよね。
比較は以上です。以上だけど、大事なのは音楽は「フィクションである」ということ。たぶん。
ichibanに関しては、楽曲提供者のKREVA氏いわく「ガッチガチのオーダー」(ニュアンス)からできたもので、リリース当時のインタ等からでも、おそらく彼らのストレートに近いメッセージのように思っていたけれど(だからこの曲が原因でより病んだ)(褒めてる)(いや褒めてない!)。
GOATに関してはそのクオリティから本気のようにも感じるし(もちろん本気だとは思う)、当然ichibanがあったからどうとかこうとかではなくて、もっとシンプルに彼らのやりたい、あくまで「表現」なのかもしれないとも思う。
たとえば「一番星になったお前の分」と「君に見てほしいんだ マジぶっちぎる Shooting Star」の対比が、「一番星」というと現代ではアイドルを連想させるし、あの頃のichibanにもかかってくるのかもとか、そしたら自分たちはもう一番星ではなくてShooting Star、「バラバラになった空を奪って」「ぶっ飛んでった Life が今大集合」あたりの脱退と結成を思わせるような歌詞もあくまで彼らにとっては表現なのかもしれない。くらいで聞いとくね!
あとね、これだけ。楽曲として聴き比べるとね、ichibanのほうが超キレイ。澄んでる。King & Princeという名にふさわしい王道感があるし、他の楽曲(この前年まで紅白で歌い続けてきたようなキラキラソング)とのバランスが取れているように思う。気品はそのままに、「気高さ」があるのがichiban。HIPHOP踊ってても厳かっていうかさ。本当にすごいところにぶっ飛んでたよね。くっそー
GOATのほうが当然スキルは上がっているし、この数年でスポンジのように吸収して幅と厚みが増したのか、0から想像だからバランスなんて気にしなくていいからなのか、凄みポイントがichibanとは違って、すごい人に「弄ばれてる」ような感覚がある。それが多分ね、私が思うには「この人本当は王子様なんです!!!!!ってみんなにバラしたくなる。でもまだ黙っとこうね。」って気持ちにさせられるような…のがいいのか悪いのかわかんないけどw
結局ichibanはあの時の彼らのすべてだったと思ってるし(よくできてる)、意味があったし、最高だったと思いたくて、その先のストーリーを私は浮かれ倒すほど楽しみにしていて、まあ、それは5人のKing & Princeでは叶うことはなくて、でもまた別の道ではあるけれど、あのときから「前進した」(時計の針は進んだ)と思えるGOATにも出会えて、よかったんだと思う。彼らの人生というストーリーには続きがある。さて、5000文字になる前に終わろうと思います。ここまで読んだ人いる?
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