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数日前にとったアンケートで、ジャニー喜多川による加害が、「あった」以外、つまりなかったかもしれないという可能性も含む回答が約4割だったことを踏まえて思うことがあったので私の考えを書きたい。

まず前提として、私は「あった」と思ってる。いや、あった。事務所が認めているから。「なかった」という可能性は、ここまできたら0であってくれと思う。
事務所が認めたからここまでの問題になっているのに、もっときちんと調査して、司法を通して、もしそれで「なかった」としたら?犠牲になったものが多すぎる。「なかったかもしれないけど、認める」ほどアホな事務所ではない…と思う。それなりの人間を雇っているはずだ。
しかも複数件の児童への性加害。どうなるかなんて考えれば分かる。だから、「認める」に足る事実があった…というのが私の話の前提ね。(この前提にNOという方は、もうここで読むのをやめたほうがいいと思います)。

(調査の段階や、今後も保障の面では、”どういった人が”どんな被害を受けてどういう保障を求めているのかという内容は重要になってくると思うけど、
芸能事務所内で児童への性加害があったことに対する今後の企業の在り方について考えるとき、”被害者はどんな人物か”はまた別の問題と思われる)

BBCで扱われたり、カウアン氏が出てきたあたりは特に、そして結局事務所が認めるまで、私は「あった」とも「なかった」とも思っていなかった。わかるわけがないから。というより、「あの事務所は特殊だし闇深いから、あったと言われても驚かなくもないけど、タレントがあれだけひろむを愛してひろむのためにジャニーズしてるんだから、なかったと言われてもやっぱり闇深い噂だったんだなと理解する」と思っていて、ただ「なかった」と結論づけられないことには、それはそれはとんでもないことになるともわかっていた。そういう意味では「いやもう嘘であってくれよ」(俺はジャニーズが好きなんだ!)がいちばん当時の本音に近いかもしれない。

でもジュリー氏は、私が予想するよりすんなり…というのもおかしいけど、「知らなかった」くせにわりと早い段階から「認める」ような姿勢をとっていた気がする。それから第三者委員会的なものを立ち上げて、調査に入って、報告書が上がってきたことで、正式に認めること(この間の会見)に至ったわけだけど、この間「認めない」(次のフェーズで争う)という結論に行く可能性はほぼなかったように思う。

BBCやカウアン会見があったことから、スポンサーをはじめとする取引先企業からはすでに要望書なりで説明を求められていたはず。それに対して「今からちゃんと調査しますから」という段階だったから、事務所の会見を待っていたのがスポンサー。
※「噂があったのに契約してたのか」(ネスレはしていなかった)という話もあるけど、そのへんは特にその「噂」について書いた文春との裁判、最高裁の判決が出たときにきちんと報じられ追及されるべきだったよね…それをまた「なかったこと」としてねじ伏せた、ジャニーズの闇、メディアの闇。おそらく今の常識じゃ考えられないことが、平気でまかり通ってたんだよね。
そしてこの日本のメディア•エンタメの中で、それはあったなかったの議論にも満たない「なかったこと」としてまた時計がまわりはじめてしまって、私たちはその中に生きていて、そのままジャニーもメリーも亡くなったわけで。いやあ、すごい時代を生きてしまったとあらためて思う。

話がそれたけど、今回時計をまた巻き戻して(調査して)、事務所は「認める」と会見して、「あった」という事実だけでももちろん、ああいった会見内容で、契約を続けられないと判断するスポンサーが多いのは当然だと思う。

ジュリー氏は「いろいろなことが起きている中でも、全く変わらず、私どものタレントを応援してくださっているファンの皆様には、本当に感謝の気持ちしかございません」と言っていたけど、…「変わらず応援する人がいる」(タレントが好きだから)のもいいし、それに感謝するのも素晴らしいけれど、この問題と、「変わらず応援してくれるファン」や「変わらず頑張ってくれるタレント」のためにどうするか…をごっちゃにするから、わけがわからなくなる。

これは「児童への性加害」と、それを食い止める機会を組織が逃した、逃れたことによる大きな社会問題で、社名にしても、今後タレントがエンタメの世界で生きることにしても、まずその問題と切り離す作業(解体的出直し)が必要だったでしょと思う。
「私たちにはファンがいる、タレントのプライドがある」と言って、切り離さなかったから、結果これほどまでに巻き込まれた。タレントが。
正直社名についてタレントに意見を聞く、とか言うのもよくわからない…そんなの誰かしらの何かしらの「希望」が通るような状況なん?って思うwファンからしたら、タレントからしたら、「変えないでいてほしい」と思うのが当然。ジャニーズはジャニーズのままでいてほしい。だってそれを愛していたから。でも、それは「児童への性加害」のような実態が認められなければの話であって、それがあってもなお「ジャニーズ」でありたいと思うのは、なんかちょっともう「性加害」に対する感覚がおかし………ような気がしなくもないし、でなければ他に理由があるんだと思う。
※ベテランでも若手でも自分たち(タレント個人、またはグループ)がその人生をかけて築いてきた歌、ダンス、芝居等々の表現をこれからも発揮したいというのは当然。線引きが難しいがそこに一切の罪はないし、守られるべき。

つまりね、「認める」ということはそれほどのことだと、予見できなかったのだろうか、というのが一番の疑問。
そこに性加害への認識の甘さと、自覚の足りない、組織としての異常性が透けて見えて、ああやっぱりn、とは言わないけれど(言ってる)、すぐに「解体的出直し」に舵を切れなかったところに今まで私が見てきた「ジャニーズらしさ」しか感じなかった。
あれほどの問題を抱えていたという事実があったからこそ必要と提言された「解体的出直し」の前に、今はもうどうしてますこうしてます変わりました良い企業ですってアピールがすでに年明けから始まっていて(気持ち悪かったなあれ)、今もそれが行われているのも、それはちょっと「ずるい」と思う。いや変わるのはもちろんいいことなんだけどね。変わらなきゃ困るわけだし。
ただ、ここで順番を間違えると、また(性加害でないにしても)同じことを繰り返すから、まず「解体的出直し」が必要だよって話だからさ。

世の中では、どんな事件があっても、あんな事故があっても、その後案外のうのうと生きている個人や企業がいる………のはあるあるなので、帝国ジャニーズに対してはもっと有耶無耶で曖昧でしょうもない結末を迎えるかと危惧していたけど、スポンサーの反応は「スポンサーしか勝たん」という私の長年の思いを裏切らないものでちょっとだけ安心した(この日本社会に)。契約を切ることがすべてではなくて、P&Gのような対応も同時にリスペクトする。「人権とは何か」に向き合い、様々な視点から問うていくことは重要だと思う。

ジャニーズはこれまでの倫理観では、この先の時代を生きていけないと思っていた。人権問題の「これまで」と「いま」を知るために、来月の事務所の報告も見ようと思う。現タレントも、ジュリーの言う「全く変わらず、私どものタレントを応援してくださっているファンの皆様」も、そうでない人も含め、世の中がいい方向に向かうといい。

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