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幼少期から「産む性」として認識・期待されることへの苦痛

昨日の意見陳述で、 原告の佐藤さんが小学生の頃のお話を法廷で陳述された。

男子がふざけて椅子を押して、
自分が転んでお腹を打ってしまった時に、
先生の口から出た言葉は
「佐藤さんが将来赤ちゃんを産めなくなったらどうするの」
だったことが、 今でも心に残っているのだという。

「女の子は赤ちゃんを産むからお腹を冷やしてはいけない」等と言われて育った人も多いと思う。

女性は、 小学生、人によってはそれより早い段階から 「将来は子どもを産む存在」であることを大人に刷り込まれる。

物心もつかない幼少期から、 「女」として将来「母体」になる前提で勝手に話を進められる。
この不快感は、 多分男の人には分からないと思う。

「自分の体だから大切」なのではなく、
子どもを産むという目的ために「未来の母体」としての自分の質を保つように教えられる。

佐藤さんの話を聞いて、 私の胸の奥の傷がジュクジュクするのを感じた。自分にも同じような経験があったから。

「母体」としての質に言及されたり、 「個人」ではなく、 「将来子どもを産む生き物」として扱われた記憶が蘇ってしまって、 胸が痛んだ。

私が高校生の頃、 高齢の男性の先生に
「梶谷さんも女性だから、 子ども産むかもしれないじゃん!」と言われた。
私ははっきり「産まないです」って言ったけど、
「産むかもしれないじゃん!」と笑われ、 一蹴されて、 まともに聞いてもらえなかった。

女性が自分の意思で「子どもを産まない」と言っても、 「馬鹿で未熟な女の戯言」として扱われてしまい、 「未来の母体候補」として見られ続けることは変わらない。

私は、 骨盤が大きく、 ウエストは余裕があるのに、 お尻や骨盤でひっかかってうまくく着こなせない、 マーメイドスカートを履くと骨格事故になってしまうことがよくあり、それを女性の先生に愚痴ったこともある。

「お尻が大きくて、 着たい服が着れないことがあって嫌だな~」みたいな感じで。
その時に、
「骨盤が大きいから子どもを産む時に楽だよ、 良かったね」と言われたのを覚えている。

私が女の子としてオシャレをしたいという気持ちも、 「出産すること」に関連付けられてしまうんだ、 何を言っても「母体」として扱われてしまうならもう何の話もできないじゃん😇と思ったことを覚えている。

生殖能力に違和感や苦痛がある当事者にとっては、「将来出産する可能性がある人」として見られること自体が精神的に大きな苦痛であり、 尊厳を傷つけられることに等しいので、その場で泣きたくなったことを今でも覚えている。

言った方は軽い気持ちで口にしたことで、もう覚えてもいないと思うけれど、 私は10年経っても忘れられません。

また、 私は原告の中で唯一の既婚者な訳ですが、
女性が結婚したら次に待ち受けているの「出産」であるという社会通念がまだまだ強いと感じます。
結婚 → 生涯子なし でも 結婚 → 結果的に離婚 でもその人にとって「ベストな選択」であればいいはずなのに、
こいつも結婚→出産というレールを歩きたいだろう、 あるいは歩いている最中であろうと勝手に決めつけられるのです。

日本の病院でも、結婚した途端に、 妊娠に備えて別の胎児に悪影響がない薬に変える話をされたりしました。
妊孕性に苦痛を感じていて、出産は考えていないことを強く伝えても「気が変わったら教えてね」と笑われました。

子どもを欲しくない女性も「運命の人」に出会えば気が変わって、 その男性との子どもを産みたくなるという通説も根強いです。 

不妊手術を受けたアメリカの病院でも、
「離婚や死別を経て、 パートナーが変わったら後悔する可能性もある」と言われ、
向こうもそれを押し付けるのではなく「そういう可能性もあるよ」という程度で、 誠実に医療的に必要な説明責任を果たしてくれただけだと感じていますが、

当事者としては、 「今後パートナーが変わったら」「運命の人に出会ったら」子どもを持ちたくなるというのは、 大分的外れな感じもします。 

なぜなら、 私は「自分の体に生殖能力があること」自体が辛いので、 それを使うということはもっと辛い・耐え難いことで、 私にとっては「相手が誰か」という問題ではそもそもないのです。 
相手が他人であろうと夫であろうと「等しく同じくらい嫌」なのです。  

どこの国の医療機関でも、 女性であれば「妊娠可能性」や「授乳中であるか」などという質問から、患者は嫌でも逃れることはできません。

生殖能力に違和感を持つ当事者としては、この人たちも聞かなきゃいけないから聞いているんだ...ということは頭では分かっていても、
「妊娠可能性のある人」として見られているという事実に毎回心が抉られました。

中には「大変失礼ですけど」とクッション言葉を置いた上で、妊娠の可能性や希望を聞いてくださる薬剤師さんや、妊娠の可能性はありますか?とピンポイントで口頭で聞くのではなく、別の項目と交えて指さしで「該当はありますか?」と聞いてくれるお医者さんもいました。

医療従事者として、聞かなくてはいけない質問であることは私も理解していますし、私のような少数派に配慮してください!とまでは思いません。

だけれども、同じことを聞くにしても、クッション言葉を挟んでくれたり、口に出さないで聞いてくれることで精神的に救われる人がいるということをお伝えしたいです。

あなたの目にうつるその人は紛れもなく「女性」で、社会の価値観からすると「女性」は「今後母になる生き物」かもしれません。
だけれど、外見だけではその人の心の中までは見えません。
その「女性」が異性と結婚して、妊娠や出産を経て生きていくものだという前提を持って発言する前に、
もしかしたらその人は異性愛者ではないかもしれない、
女性として生きていくことを望んでいないかもしれない、
生殖能力に違和感や精神的苦痛を感じている人かもしれない、
と一秒でも良いので、 頭の片隅に置いておいていただければ嬉しいな、と思います。

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