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#わたしの体は母体じゃない 訴訟 陳述書全文

2/26に提訴した母体保護法下の不妊手術の原則禁止の違憲を争う訴訟について、約5000字の陳述書全文を公開します。
自分のことをどこまでさらけ出せるのか葛藤しながら、自分がどういう思いで、27年間生きてきて、この結論に至ったのか、自分の中でも自分の気持ちや人生の軌跡をひとつひとつ整理しながら最後まで頑張って書きました。 

日本では、不妊手術について、体に悪いものであるとか、体調を崩すのではないかと思う方も多いですが、おそらく懸念についても触れてお話しています。

長いですが、この訴訟や女性のリプロダクティブ・ヘルス&ライツに関心のある方は読んでいただけると嬉しいです。

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  1. 私は女性として生きていますが、9歳か10歳ころから、生殖能力のある自分の体に違和感を抱いていました。
     幼いころに、女性の生理は「お母さんになるための準備」だと教えられたことで、生殖能力と結びついている生理に対する嫌悪感がありました。また、二次性徴期を迎え、男の子と女の子がお互いを意識するようになっても、恋愛に興味がないまま20代まで生きてきました。好きな男性の子供を授かり、産み育てるという人生を望んだことは今日まで一度もありません。
     不妊手術を知ったのは16歳ころのことです。それから10年以上、不妊手術を受けるためにはどうしたらよいのか情報収集をしてきました。
     生殖能力に対する嫌悪感から、低用量 ピルやミレーナ(子宮内に挿入する避妊のためのリング)を使用するようになりましたが、ピルを服用していた時は、生理前に起こるようなお腹の張りや軽いむくみなどの症状が続き、ミレーナを挿入してからは、急激に体重が増え、下半身だけが浮腫むなどの症状が出て、どちらも体質に合いませんでした。
     良い相手と対等な親友関係のような結婚ができれば、結婚をすること自体は絶対に嫌だというわけではありませんでしたが、同時に、リプロダクティブ・ヘルス&ライツが保障されていない日本で、女性が男性と結婚することはリスクが大きすぎると思っていました。女性が名字を変えるのが当然、女性だけが義実家に帰省して当然、というイメージがあり、日本の一般的な結婚に憧れることはありませんでした。自分の「息苦しさ」を自分で増やしてしまうだけだと思ったからです。
     また、日本では結婚した女性は配偶者の同意がなければ合法的に中絶手術が受けられなかったり、そうかといって、妊娠を防ぐ不妊手術も、子どもを複数人産んだ上で配偶者に同意を得なければいと受けられないなど、日本での結婚は、女性が人間としての権利人権の一部を公的に奪われることと等しいと考え、もし結婚するなら尚更早い段階で不妊手術を受けたいと思っていました。
     子どもを持たずに不妊手術を受けたいと思う世界中の当事者が情報交換するコミュニティに入り、情報収集をしていました。他の国の人が、自分の地域の医療機関やお医者さんの情報を交換しているのを見て、なぜ生まれた国が違うだけで、私には自分の国で望む医療を求める選択肢すらないのだろうと悲しくなりました。自分の身体のことを自分で選ぶことすらできない国に生まれてしまったのだと、嫌でも思い知らされました。
     私は、いま結婚していますが、周りの人に「妊娠する可能性のある人」「子どもを産むかもしれない人」と思われること自体が、嫌で、苦しくて、仕方ありませんでした。妊娠の希望や有無を医療機関で聞かれたり、周りの人に「妊娠したの?」と聞かれた日は、一日中気持ちが暗くなりました。不妊手術を受けて、一生妊娠することはないと言えたら、あるいは心の中だけでも思えたら、どんなに気持ちが晴れるだろうと思いました。
     また、私は不妊手術を受けたいと思うと同時に、性行為自体を積極的に望んでいませんでした。避妊目的で不妊手術を望んでいるというよりも、不妊手術を受けることが、自分らしい身体になるため、自分らしく生きていくために必要だから求めていました。
     ミレーナやピルは、一時的に妊娠しない状態になるという意味では、妊孕性への違和感や精神的苦痛を一時的に和らげてくれるものではあります。でも、私が望んでいるのは避妊ではなく、妊孕性をなくした身体になることなので、根本的な解決にはならず、気休め程度にしかなりませんでした。

  2.  私は現在、とても幸せな結婚生活を送っていますが、妊娠や出産・子育てだけは経験したくない、そこだけは私の人生で絶対に譲れませんでした。パートナーは、私の生殖能力がある身体で生きることへの苦痛、不妊手術を受けたい気持ち、そして自分の国ではその選択が叶わないことへの葛藤に寄り添い、私の唯一かつ最大の味方として、全力で協力してくれました。
     しかし日本では、母体保護法によって、配偶者の同意が必要とさされているだけでなく、複数の子どもを産んでいることが条件とされているため、私のように「子どもを一人も産まないまま不妊手術を受けたい」という自己決定は尊重されず、聞き入れられることはありません。
     多くの国では、その国の成人年齢に達していれば、誰の同意もなく、自分の意思だけで避妊目的での不妊手術を受けることができます。もし日本でもその自由が認められていれば、私は成人した時点で不妊手術を受けることができていたのに、その自由がないために、私の体は私の意思に反して「母体」として保護され、自分らしく生きることができない苦痛と違和感を抱え続けてきました。

  3.  私は、やると決めたら目標達成までやり切れる芯の強さを持っています。自力で最大30kgの減量をしたり、大学の勉強と並行して独学で英検1級を取得し、夢だった専門職につくこともできました。困難だと思われることも、最大限、自分の力で叶えてきたつもりです。でも、自分で自分に麻酔をかけて手術をすることはできません。私の、不妊手術を受けたいという夢を達成するには、私の意思を尊重して手術をしてくれるお医者さんや環境が必要でした。それが、自分の国では叶いませんでした。
     2023年9月、私はついに、自分の身体の自己決定権のために海外の病院で不妊手術を受けました。その病院では、避妊法の選択肢のひとつとして不妊手術をすることを普通に受け入れていて、第三者の同意を得る必要もなく、私の決断を誰かにジャッジされることもなく、適切な説明を受けた上で、私だけの意思決定に基づいて不妊手術を受けることができました。
     これまでに、日本の病院に不妊手術を受けたい旨の相談をしたことが何度かありましたが、「結婚しているのか?」「子どもは産んでいるのか?」「配偶者は同意しているのか?」等と聞かれ、私の意思を否定され続けてきたので、海外の病院で不妊手術を受けられることになった時、本当にはじめて、ひとりの人間として扱われたような気持ちになりました。
     そして、不妊手術を終えたとき、私は「やっと楽になれた」「本当の自分になれた」という安堵が心の底からこみ上げてきました。

  4.  不妊手術を受けたとき、私は27歳でした。じつは私はバセドウ病を発症しており、不妊手術を受ける際、多少なりとも麻酔によるリスクがありました。以前にも麻酔を使う手術の経験はありましたが、私にとって、不妊手術は持病がある状態で受ける初めての手術でした。その不安から、何度も甲状腺の検査をしました。そのうえで、お医者さんに数値的に問題ないと言われても、全身麻酔によって、甲状腺クリーゼ(甲状腺ホルモンの過剰な状態に耐え切れなくなり、複数の臓器の機能が低下し、死の危険が切迫した状態になること)になり死んでしまうのではないかという恐怖が自分の中に常にありました。それでも、これ以上、生殖能力のある身体で生き続けることはできないという強い想いがあり、長年の希望だった不妊手術を受けました。
     もし日本でも、成人年齢に達した時点で、誰の同意もなく、なんの条件も課されずに不妊手術を受けられていたら、このような健康上のリスクを負うことはありませんでした。私が成人した時の日本の成人年齢は20歳だったので、もしその時に不妊手術を受けられていたら、7年間も身体に違和感や精神的苦痛を抱きながら我慢して生きなくてよかったのに、とも思います。母体保護法によって奪われた私の7年間を、返してほしいという気持ちです。

  5.  私は、結果的に海外の病院で不妊手術を受けることができましたが、海外の病院で手術を受けることに抵抗がない人はきわめて稀だと思いますし、医療費や渡航、滞在費等の金銭的な問題、仕事との両立、言語の壁などさまざまなハードルがあり、現実的には多くの人にとってきわめて難しい選択です。
     日本でも個人の尊厳や自己決定権が尊重され、女性がひとりの人間として扱われる産婦人科医療が当たり前になってほしい。今後、私と同じ処置を望む女性が、自分の国で自分の求める処置を受けられるようになってほしい。自己決定のために海を渡る必要がなくなってほしい。私は、そのような思いで、この訴訟を起こすことを決めました。
      2023年9月、私はSNSを通じて、結婚や出産を経験せずに不妊手術を受けたいと思っている若年層を対象にアンケート調査を行いました。そうしたところ、開始から数分で20件を超える回答がありました。回答者の9割は、日本で不妊手術を受けることは不可能なので諦めている、または、既婚であり子どもがいると偽ってでも手術を受けられないか検討している、と回答し、海外で手術を受けることを検討していると回答した人は1人だけでした。つまり、不妊手術を受けることを望んでいる多くの人が、母体保護法のために、不妊手術を受ける選択肢を奪われているのです。
     日本にも、私と同じような想いを抱いている女性がたくさんいます。自分の身体に生殖能力が備わっていることに違和感や苦痛がある、 ノンバイナリーやアセクシャルで、妊孕性を望んでいない、 生理が精神的・身体的に苦痛であるなどさまざまな理由で、 結婚や出産を経験せずに不妊手術を受けたいと思う人がいるのです。
     でも、子どもをもたず、不妊手術をするという自由が、法的にも、人々の心の中の概念としても、そして社会の共通認識としても「存在しない」ものとされていることに、私は危機感を抱いています。

  6.  母体保護法が、すでに子どもを複数産んでいることを不妊手術の条件にしているのは、国家による「産めよ増やせよ」と何が違うのでしょうか。個人の意思に反して、国の利益のために「産む機械」としての女性の身体を「未来の母体」として管理しておきたいというようにしか、私には思えません。自分の身体に違和感があり、妊孕性自体を望んでいない当事者からすると、「結婚して子どもを産んでいないと不妊手術を受けてはいけない」というのは、自分の身体への違和感や苦痛を、取り除く方法があるのに、国から「一生我慢しなさい」と言われている気持ちです。
     日本では避妊法が限られていて、コンドームのみの避妊によって、望まない妊娠にさらされる女性が非常に多いだけでなく、ミレーナやピルはホルモンに作用するため、体質に合わない場合があります。不妊手術は、女性にとって、もっとも安全かつ確実に妊娠の危険から守られる重要な手段です。
     また、海外での不妊手術は卵管の全摘が主流となっていますが、卵管を摘出することによって、卵巣がんのリスクを大幅に減らせることが近年の研究で明らかになっていて、不妊手術は、女性が自分の命を守る選択肢のひとつにもなっているのです。
     現在行われている不妊手術(卵管の結紮や全摘)は、それ自体に対する禁忌はありません。身体に負担も少なく、日帰りで行えるとても安全な手術です。私自身も、朝に手術を受け、昼には退院でき、術後の痛みなどもありませんでした。このように、本来は禁忌がなく、安全で身体に負担が少ない手術を法律で禁止したり、制限を課すことは、医学的な根拠や正当性がないはずです。

  7.  私の身体や人生は、国のものでも、家のものでもありません。私の人生は、私だけのものです。私の身体は、頭のてっぺんから足のつま先まで、すべて私のものです。不妊手術を受けるのに、配偶者の同意や子どもの有無を条件とするべきではありません。どのような身体で生きたいかは、その人だけが決めることです。
     「子どもを持たずに不妊手術を受けたい」などと考えている人などいるはずがない、または、 存在してはいけないという前提で作られた母体保護法のもとで、社会も私たちの存在を想定していません。
     ですが、私たちは確かにここにいます。
     この訴訟を通じて、私たちはここにいるのだということ、そして、同じ思いを持つ人に対して、変わる必要はない、そのままのあなたで生きてよいのだ、と伝えたいです。 以上。

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