映画「動いている庭」での体験
畑をしている。週末ごとに通う。
平日は都会へ仕事に行く。
そのカサっとしたモードのまま畑に行く。
と、そこにいる存在たちは無口だ。
ぼうぼうに生えている草を苅り、種を蒔く。作物の育ち具合をみて、邪魔になっている草を苅る。苅るごとに草の匂いが立ち昇る。
土には根っこや種。幼虫。蠢めく小さな小さな黒い虫たち。ミミズ。何かの菌。ここへやってきた野うさぎのものか、コロコロした糞。
葉っぱに飛んでくるバッタ。花の蜜を求める蜂、蝶、花芯に集まる蝿や小さな虫の集団。
モードがゆっくりとこの場に合ってくる。
畑の片隅に座り、水を飲む。ブンブンと旋回し続ける虫の羽音、時折鳥がさえずる。それだけが聞こえる。
突然気づく。
止まっているものが何一つなく、それぞれの営みを淀みなく続けている。個々に動きながら常に調和している。今の調和の状態から、次の別の調和の状態へ。いつも新しく一瞬も止まらず。
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映画「動いている庭」は、フランス人の庭師 ジル・クレマンさんのドキュメンタリー。
「“The Garden in Mouvement-動いている庭”はこの植物から始まりました。花ウドです。これはとても大きくなる。通路の邪魔になるのです。これを雑草とみなして取り除くのか。私は雑草と呼びたくない。で、決めた。通路を変えることにしました」クレマンさんが言う。
クレマンさんが仕事をするために身支度を整える。膝当てを付け、ポケット付きのエプロンを付け、長靴を履き、帽子を被る。長回しでその動作がじっと映し出される。動作は淀みなく、いつもの格好なのだろう、と私は思う。
ザクザクと地面を踏みしめる音とともに、クレマンさんが前を歩く。監督の手持ちのカメラで映された画面は、その歩みで揺れる。
雨が降る。雨を受ける葉っぱが大写しになる。葉っぱの先から雨の雫が落ちる。そのたびに葉っぱが上下する。そしてまた、庭の遠景。
私はいつしか自分の畑のことをしきりに思い浮かべていた。種を蒔くとき、花を見るとき、私の視点はミクロになる。そして畝全体を見る。立ち上がって遠くまで見渡す。
視点の切り替わりが映像とリンクして、スクリーンの前に腰掛けている私は、クレマンさんの庭を歩きながら自分の畑を歩いていた。
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