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経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その1

実弟がnoteで半生を振り返っているのを見て真似してみることにした。

はい、私は何者かと言うと、ある人の実兄です。今はまだ実弟のnoteを見ていることを本人に言ってないのですが、私は「2017年秋まで某芸能事務所の役員をやっていた人」の実兄とだけ言っておきます。そのうち公表できるかと。

その実弟はnoteに「マーチングバンドに所属していた6歳離れた兄の影響から~」と書いていたのですが、その時期より前の話、打楽器を始めたきっかけから書いていきます。

小学校4年生のある日、小学校の鼓笛隊のメンバー募集がありました。当時募集していたのは「トランペット」と「太鼓」。なんでこの時手を挙げたのかさっぱり覚えてないのだけど、太鼓やりますと言って鼓笛隊に入団したのがすべての始まり。何か演奏したはずなのだけど何やったかさっぱり覚えてません。

その次の年。他の小学校から転勤してきた某先生が担任兼鼓笛隊の顧問となり、鼓笛隊を大幅にイメチェンして「マーチングバンド」に変えて活動するようになってから、私の打楽器屋人生は急展開しました。

横浜市は日本のマーチングバンド文化発祥の地です。横浜発祥の文化としては「洋食」「鉄道」「電話」などが有名ですが、マーチングバンドも実はそうです。昭和30年代にアメリカ海軍が横須賀基地周辺で日本人にマーチングの指導を行い、指導を受けた関東学院中高や神奈川県警音楽隊がマーチングを行うようになり、1966年にはマーチング専門団体である「日本ビューグルバンド」が結成された・・・と、ウィキペディアに書いてあったw

先述の某先生がどこでマーチングに染まったかを聞いていないので理由は分からないのだけど、とにかく小学校5年生、1986年度に母校の小学校の鼓笛隊はマーチングバンドに姿を変え、本格的に活動することに。

その小学校のマーチングバンドは、私が卒業してから某先生の元に集まったOBOG達の手によって、「The YOKOHAMA SCOUTS」へと変貌していきます。

そうです、私の母校は、横浜市立日枝小学校です。某先生とは、高橋俊光先生のこと。私はこのSCOUTSには正式参加することはありませんでしたが、何度か元同級生達と一緒に練習にお邪魔させていただいたこともあります。

話を戻します。

この時の担当楽器はバスドラム。いわゆる大太鼓。当時は身長が130cm台しかなかったのに、大きなバスドラムを担ぐことになったので、前の視界が極端に悪く、バスドラムを担ぎながら壁や柱にぶつかることが多々。横浜文化体育館(以下「文体」)で行われた何かのイベントで退場時にドアとドアの間の柱にモロに激突し、会場から爆笑されたのは今でも覚えています。トホホ。

※画像は「GATAG|フリー素材集 壱」より

日枝小マーチングバンド時代の思い出はさすがにかなり忘れているのだけど、元々吃音持ちで早口で活舌が悪い(今でもだけど)せいで1個上の先輩たちからは「ラリちゃん」(しゃべりがラリってるようだからつけられたあだ名)と呼ばれて可愛がられ、ある日の練習終了後当時のドラムメジャー(指揮担当)の女の先輩から「ラリちゃんカワイイ~!」と何の前触れもなく抱きしめられた記憶がめちゃくちゃ強烈に残っていますw

5年生の時からマーチングの大会にも出場しました。マーチングの大会は、古くからある吹奏楽連盟が主催している大会と、ある人が吹奏楽連盟から飛び出して立ち上げた「全日本マーチングバンド・バトントワリング連盟」(現「一般社団法人日本マーチングバンド協会」)主催の大会があるという分裂状態だったのだけど、私が出たのは専ら後者のほうでした。

神奈川県、というより横浜市はマーチング発祥の地だけあって小学校の強豪校が複数いました。具体的には「横浜市立小坪小学校」「横浜市立平安小学校」の2校です。

高橋先生の元、「打倒小坪・平安」を掲げて猛特訓した結果、神奈川県大会はあっさり初出場初通過を果たしました。何位だったか覚えてませんw

しかし関東大会では18団体中16位という悲惨な成績で敗退し、「悔しい」と大泣きしたことも覚えています。

そして翌年再チャレンジし、その時も全国大会には行けなかったものの、20団体中10位とそれなりに躍進はできて、小学校時代のマーチング活動はクロージングのフェーズを迎えます。卒業直後の1988年5月3日に行われた横浜国際仮装行列(現「ザ よこはまパレード」)に日枝小の人としてバスドラムを担ぎ、距離4.4km・演奏時間約90分という過酷な条件のパレードを完遂し、ここで小学校のマーチング活動は終了しました。

少し時期が戻りますが、私は中学校の進学は地元の公立中ではなく中高一貫型の私立中を受験することが家の方針で決まっていました。そしてその志望校の中に、とあるマーチングバンドの強豪校が入っていました。もしそこに入学出来たら、「もうバスドラムは重いし前が見えないから嫌だ。カッコイイ”スネアドラム”をやりたい」と思うようになっていました。

そして、中学受験では3校受けましたが、なぜかその強豪校しか合格できず、そこに進学して中・高マーチングバンドの世界の門を叩くことになります。

まったくの初心者ではなく、小学校で3年経験を積み、関東大会まで進んだ経験者の入団。「凄い奴が入ってくる」と当時言われていましたが、その鼻っ柱は1年持たずにボロボロに折られることになります。

この後は、第二話で。

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