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【岐阜県郡上市】秋の行楽、美濃散歩六日目 郡上八幡城に登城でござる 22.11.04_09:45
秋の行楽、美濃散歩。六日目。
今日は一日、郡上の街を散策です。
まずは郡上八幡のお城に登城でござる。
郡上は飛騨高地の山岳地帯が、あっちから押されてこっちから押されて出来たシワのような溝地に存在する。
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戦国時代は東氏により支配されていたが、遠藤盛数により滅ぼされた。
彼が初代八幡城主。戦国一のあげまん、山後一豊の室は盛数の娘という話が伝わる。
その後、息子の遠藤慶隆が織田信孝の配下だったため秀吉により信孝切腹の折に追放。
以降、頑固一徹の息子稲葉貞通が城主となるが、関ヶ原以降臼杵へ転封。関ケ原の功により遠藤慶隆が返り咲いたが、以降、慌ただしく城主が変わり青山氏が7代続いたときに廃藩置県を迎えた。
何しろ猫の額ほどもないような窪地の藩。
目まぐるしく藩主が変わっても所詮5万石程度の小藩。
廃藩置県の折にあった郡上県は早々に岐阜県と福井県に分割されて姿を消した。
郡上のお城自体は廃藩置県で廃城になったときに取り壊されてしまったが、昭和8年に大垣城をモデルに木造再建された模擬天守。
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城自体は小さいものだが、山城で城下から見上げた姿は立派だ。(大垣藩のパクリ天守だから、元はもっと小さかったのだろうけど)
結構見栄えがよく、木造模擬天守だというのに100名城の選定から漏れて、新100名城でやっと選ばれた。知名度も高いと思うのに、玄人評価は今ひとつ見たい。
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駐車場が分からなくて、城下のバスが停まる大きな駐車場に止めようとしたら、管理の人に今なら朝だから城の脇の駐車場が空いてるはずと教えてもらった。
確かに空いていて駐車できた。下から歩いていたら大変な思いをしないといけなくなるところだった。
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お城の丸自体は小藩なので小ぶりでパクリ天守なのだが、木造再現は戦国気分を害さずに見られて良い。
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高台のお城から、郡上八幡の猫の額ほどの街がグルリ見渡せて、お殿様気分に浸れる。
城跡から見下ろせば、青く細い河。
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今日は一日かけて、眼下の城下町を散策すると思うとウキウキ気分。
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見知らぬ街・・・旅の醍醐味ですわ。