観光と背中合わせの漁師の街 散歩 19.09.01 15:56
江ノ電江ノ島駅から江ノ電沿いに腰越の街を歩いて、短くて江ノ電がはみ出る腰越の駅を横目に義経詫び状の萬福寺を過ぎて小動の岬から海に出る。
そこには日本有数のビーチリゾート江ノ島に隠れた漁港がひっそりのどかに存在している。
江ノ島で何食べる?となるとまっさきに思い浮かべるのがしらすだろう。(今日はラーメン食べちゃったけど(笑))
江ノ島のしらすを支える腰越の漁港も昼過ぎともなるとすでにひと仕事終了的な雰囲気。
ひなびたのたりのたり感がたまらなく良い午後の漁港。
っていうとのんびりとした風景になるのだが、実際は・・・。
自分は腰越がある藤沢の隣、茅ヶ崎という街で生まれ育ったということはこれまでにも何度か触れたと思う。
茅ヶ崎も国民的ロックバンドのボーカリストの出現によりすっかり小洒落た夏の観光都市みたいな顔をしているけれども、ガキの頃、ロックバンドの出現以前はホントになにもないところで、しかも、茅ヶ崎も南湖という海岸っぺりの茅ヶ崎の漁港を抱える漁師部落が出身なので、当然同級生にも漁師のせがれや釣り船屋のせがれなどが何人もいて、体外そういう家業のガキたちは将来の就職の心配は一切なく、家業につくことが当たり前と思われていて、そうなると、ご多分に漏れず勉強などせず当然する必要もないのだが、義務教育と言われる期間遊び呆けて夜露死苦やっていたというのが事実。かくいう私もそれと似たりよったりな状況で、突っ張ることが男のたった一つの勲章だって胸に信じて生きていた。みな年をとったからそれなりに枯れてきてはいるけれども、漁師がのんびり漁をしているなんて、正直思えない。それが湘南の漁師町の実情だと思うのだが・・・。
まぁ、農業と違い漁業とはつまり漁師なわけで、将来のためになにかするなんてことはあまり考えず、地道に田を耕すようなこともせず、取ったか見たかのその日暮らしというのが現実で。しかも良くしたもので、漁業権という打ち出の小槌な伝家の宝刀で権利だけは固く守られていて一般人に付け入るスキがない。そうなると怖いものなしで気性的には荒くなるのが当たり前なわけ。そんな連中と付き合っていると宮使いのこちらとしては、体が持たないというのが正直な話。
魚探は使えるがスマホは苦手な、アイツやアイツやあいつの顔を思い浮かべると悪口しか思い浮かばないみたいな・・・(笑)
というのが漁師に対する個人的な印象で。茅ヶ崎のこじんまりとした漁港ですらそんな感じなので、腰越くらいの規模になると、もう・・・どうなの?って感じ。
今となっては、海岸の国道を深夜に盗んだバイクで走り出す荒くれ者や、校舎の窓ガラス壊して回るようなツワモノも姿を消して、計算高いゆとり世代が蔓延する世の中。
漁師の実態も俺の同級生以外の今はだいぶ違っているのだろうか?そんな連中以外の漁師を知らないから、画一的で個人的な感想なのだけれども。
こうやって、鄙びた風を装う漁村を見ていると、その影に隠れた実態が気になって仕方がない。
なにしろ、サラリーマンとは明らかに生き方も考え方も違う人達の集団だから。
それでものどかに思えてしまう。
海にかけられた魔法のせか?全てがキラキラと美しく思えてしまう。
くそ・・・騙されてなるものか・・・(笑)