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はじまりの島巡り 淡路国一宮伊弉諾神宮に参拝 19.11.17 10:33

物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。
国産み・神産みを終えた 伊弉諾尊が最初に生んだ淡路島に立つ伊弉諾神宮。神社じゃないよ神宮だよ。社格は官幣大社だよ。

令和元年。関西に行ったら訪れなければと思っていた場所。念願がかなった。でも、淡路島っていうのは兵庫県なんだなぁ。徳島県の領域な気がして仕方がない。淡路国は蜂須賀様のものだろう。でも、淡路の人にしたら、徳島県民よりは兵庫県民なのだろうか?

神が最初に作った淡路島は律令になって淡路国となるも何しろ島。本州からも四国からも離れて山深く平地が少ない。南海道に属して都に対する近国なのに国力は下国。橋も高速船もない時代。渦潮が巻く瀬戸内海、手漕ぎの舟に寄る海上交通しかなかった時代にここに住んで暮らすって大変な苦労だったろう。

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今日は明石大橋で淡路島に渡り、そこから下道。
島の西側瀬戸内沿い、風光明媚な県道をひたすら走って淡路島の中央部分の少し太ったような地形のところに差し掛かったかかからないかのところに伊弉諾神宮は鎮座している。
淡路島自体が京に向いて発展している島なので、島の西側と近代開発からは取り残されたしかも山間部に入った牧歌的な風景の中に鎮座していることになる。

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島作り神話から日本最古の神社ということになっているが、神宮全体に感じる雰囲気は新しい感じ。
阪神淡路大震災での被害も大きかったらしい。流石にもう地震の爪痕を感じることはないが。

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そんな伊弉諾神宮もやっぱり七五三のシーズンで大賑わい。
一宮だし、国生み出し。楠木正成を祀る湊川神社と違って伊弉冉尊を祀る伊弉諾神宮。七五三にここに参るのは正しい気がする(笑)

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淡路島からは弥生時代の青銅器が多数出土している。しかも、平野の集落と思われるところからではなく山間地の集落から。
朝鮮半島からの伝来とも言われている。島国ならではの海人と呼ばれる海洋文化が太古から花開いていたらしい。

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淡路国は小国であったが御食国であった。
租庸調の税とは別に、海洋産物を献上する国であり、都には雑魚を収めていたらしい。
玉ねぎばかりの島ではないということだ(笑)

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淡路国は四国と都をつなぐ運命から、三好氏の勢力下になったり、毛利の勢力下になったり、秀吉の四国攻めの通路になったり、讃岐や阿波の勢力下になったりの運命をたどるが、国生みのプライドは永遠だったことだろう。現代における関西地方ひいては兵庫県における淡路島の扱いってどんな感じなのだろうか?通りすがりの観光客には感じるすべはないけれども。

令和元年に伊弉諾神宮参り。
個人的には念願かなって大満足だ!






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