腹囲が気になる福井の旅 北前船で栄えた三国湊町 三国神社に繁栄の面影 19.11.24 15:12
北前船の寄港地として随分と栄えた三国の町。
船は日本海沿岸各地の特産物を大阪や江戸へ送った後、空いた荷物のスペースに京文化の栄華をのせて戻ってくるのだそうだ。なでも、米俵と同僚の石灯籠などを積んで戻るので、北前船の寄港地は文化が大きく花開いたそうだ。
そんな三国の町外れの高台に三国神社が祀られている。
どうせ地方の神社だろうとたかをくくっていたのだけれども、見上げる巨大な随神門に圧倒されて魂を鷲掴みされた。
積まれた石垣、長い石段。ひなびた田舎にしては立派な神社すぎる。
社格は県社程度の三国神社がなぜこんなに立派なのかと言うと、それはすべて北前船の豪商のおかげ。
庶民の生活を潤わせようと、石段を作り、石垣を積み、社内の整備に地元の民に労働という収入源を与えて街全体が潤うように仕向けたのだとか。
偉大なる経済の使徒だ。しこたま設けたとしても使うところがなかったのかもしれない。
そんな豪商たちも海運から鉄道へと移行する時代の波には贖えなかった。
海運にこだわって破産するもの、銀行業へと乗り換えて生き残っていくもの。
時代の波を超えるもの飲み込まれるもの。生き残ったものだって今となっては豪商の面影はない。
神の思し召しは結局誰の上にも微笑まなかった。わけだ。
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