【岩手県平泉町】みちのくひとり旅5日目 奥州の政庁、柳之御所跡 23.11.21_13:15
高舘義経堂の丘を下った北上川の土手沿いに柳之御所がある。
藤原三代の屋敷であり、奥州の政治の中心だった場所。
まさに、兵どもの夢の跡だ。
広大な移籍後には柱の跡が数十センチほど埋められてあり、館があったことの証とされているが、ホントだろうか?
北上川の水運を利用したかったことはわかるけれども、それって水害と背中合わせ。
現代の危機管理からすれば、館はもう少し高台に作るべきだとおもうし、高館ですら北上川に削られて当時の形を残していないというのに。
前九年、後三年の役のどさくさで奥州を手に入れた藤原氏も思いの外そういうところの見立ては悪かったということか。
北上川が削った、ただただ広い野っパラが柳之御所跡だと言われてもねぇ・・・
川の流れが本当はどうだったのかすら定かではなかろうに。
正直、多摩川や荒川土手と変わらないから。
どうもねぇ、平泉の世界遺産って、日本人の私から見ても胡散臭くて仕方がない。
本当にあった話なのか?
義経が逃げてくるくらいだから、まるっきり嘘というわけではないのだろうけど。
そもそも奥州の覇者が暮らすには平泉は狭すぎないか?
猫の額ほどの土地、そこに自分が住むためにでかい御所つくって、でかい寺院つくって・・・人民はどこに住んでいたのだろうか?
ぐるりと歩いて回れるほどだから、狭いと言われる鎌倉府の10分の1程度か?鎌倉をぐるりと歩いて回る気にはなれない。
庶民の暮らしなんてそっちのけだだったのだろう。
なので、そもそも藤原氏はそんなに力があったのだろうか?
今の中小企業みたいにだから操業三代で・・・
今となっては・・・中尊寺の金の仏像だけが唯一の証拠だ。
マジで藤原氏にどれほどの・・・
頼朝にはあっという間に成敗されてしまったわけだからなぁ・・・。
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