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久しぶりニュータウンの老舗のラーメン くじら軒に舌鼓 20.06.07 12:50
紫陽花と菖蒲と睡蓮を見るために久しぶりに港北ニュータウンまで来た。
そうすると、やっぱり行きたいのはくじら軒だ。
今日はスクーターでラッタッタとやってきたけれども、公共交通機関を利用すると市営地下鉄のセンター北が最寄り駅になるはず。
自分がまだ気持ちも肉体も若かりし頃に起こったラーメンブームを牽引したくじら軒といえば、大行列の印象なのだが、最近は落ち着きを取り戻している。
特に今日はコロナ禍のためお客がラーメン同様あっさり系な印象的。店内もソーシャルディスタンスとやらで客数を押さえている。こんな空いているくじら軒は初めてかもしれない。
世間がラーメンブームの頃、当時はまだ茅ヶ崎に住んでいた。
横浜では珍しい、醤油の王道ラーメンが食べたくてよく通ったよなぁ。
千駄ヶ谷や吉祥寺のホープ軒、荻窪の春木屋、丸福、辻堂の支那そばや、そしてくじら軒。このへんをぐるぐる回遊していた気がする。
くじら軒の旨さは周遊コースでの1,2を争っていたから。
今あらためて食べてもうまいんだけれども、やっぱり少し思い出の中の味と違う気がする。
こちらの舌が変わったのか、頭の中のイメージがハードルをバク上げしているからか。
なにか、足りない気がするのはあの頃の味と無意識に比べているからだろう。
思い出はいつも綺麗だけど、それだけじゃお腹がへるわ。
お客の要望に寄り添い、時代に寄り添い。
ラーメンの味は刻一刻と変わっていっているはずで、久しぶりに食べに来たオヤジが同じ味であることを求めるのは図々しい話なのだが。
いや、決してまずいわけではないのですよ。圧倒的にうまいんだけれども。
黄金色の旅人が持っている物語へ急いだって良いこと無いし。
なるほど、今のくじら軒の味ってこういう風なのか。
と改めて思って、時代は進んでいるなぁと感心させられて。
ラーメンも常に走り続けていないといけないんだなぁと驚かされて。
なんとなく生きることの大切さというか、生き抜くことの苦労というか。
頂点を掴んでも安心しては居られないんだよと共感したりしたけれども、いい年のオヤジが頂点を掴むことなんて多分無いんだろうから、教訓にはなりそうもない。
久しぶりに昔食ったラーメンを食べて、なんとなく爽やかな気分にさせられた。