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【岩手県平泉町】みちのくひとり旅2日目 みちのく一人、達谷窟毘沙門堂参拝 23.11.18_08:15
今日は一日一関観光と思ったら、達谷窟毘沙門堂って平泉町なのね。
ホントは達谷窟といい、毘沙門天を祀った堂宇が、崖に食い込むようにあることからこの長い名前になっているらしい。
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征夷大将軍坂上田村麻呂がここを拠点として悪路王を征伐した記念として建てたのが堂宇の始まり。
天正年間に兵火により消失したものを伊達政宗が再建。
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昭和21年には近隣火災により消失。
昭和36年に再建。現在にいたり、今では国の史跡で、拝観料はお一人様500円なり。
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昭和の建築だから、朱塗りの柱がいかにも新しい。
岩に食い込む堂宇の雰囲気はいいのだけれど。
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2011年に、平泉の浄土建築として世界遺産に登録された。
平泉の世界遺産の一部なのだけれど、藤原氏を征伐した頼朝も鎌倉への帰路に立ち寄っているそう。
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まぁ、聞けば見てみたくなるよね。
よくぞまぁな、このロケーションだから。
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毘沙門堂の奥には阿弥陀如来と言われる大きな磨崖仏が刻まれているらしいのだが、風化でほぼほぼよくわからない状態。
しかし、昭和の近隣火災って・・・今でも近所に家なんて何もないっていうのに。
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ここに、こういう舞台風の堂宇があったという話だけ・・・聞いておこうか。