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わ鐵の一日 おエライさんってやつは・・・古河掛水倶楽部 22.05.01_12:10


 江戸時代に栄えた足尾銅山は1877年には廃山同然になっていたものを古河市兵衛が経営を行うようになる。技術改革が成功し、一時は日本の産銅の半分を掘り出し、東洋一の銅山と呼ばれた。

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 掛水倶楽部は、銅山隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館。

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 山の穴の中では鉱夫が必死に銅を掘り、下流では農民が鉱毒に苦しんでいるっていうのに・・・いい気なものだ。

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 2006年には登録有形文化財に指定されたらしいのだが・・・


 都内北区にも古河邸が存在している。

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 古河はどれだけ儲かっていたのだろう?

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 旧古河邸は元は陸奥宗光の邸宅跡だったとか。
 外務大臣として有名な陸奥だが、農商務大臣も長かった。


 そして、陸奥の次男は古河市兵衛の養子になっている。田中正造の足尾銅山鉱毒事件の質問主意書を意味不明と回答したのも陸奥自身。今と変わらぬ大いなる癒着構造。酷い話だ。

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 掛水倶楽部の周りには、足尾銅山のお偉いさんの社宅もあった。
 工場長の宅もあったが、銅山の工場長くらいでは、掛水倶楽部で豪遊するほどには当たらなかったのだろうか?

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 部長さん、課長さんの家もあったが、微妙な格差がちゃんと着いていて・・・そういうところは細かいんだな。


 労働者さんの長屋はいまも人が住んでいる雰囲気だった。
 どんな人が住んでいるんだろう?想像もできない。高倉健が出てきそうな感じはある。
 銅はもう掘ってはいないのに・・・。

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 とすると、足尾銅山の観光施設の人だろうか?
 誰が住んでいるにしても、スーパーもコンビニもないような場所。
 過ごしやすいとは思えないのだが。





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