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腹囲が気になる福井の旅 建武の忠臣、新田義貞の墓参り 称念寺 19.11.25 11:32

1333年に新田庄生多神社(現群馬県太田市)で挙兵をした新田義貞は、鎌倉に攻め込み倒幕した張本人。建武の忠臣であるはずなのに、南北朝では後醍醐天皇に翻弄されて都を出され北陸へ。越前を拠点に復活を願うが足利方の軍の前に戦死したのが今の福井市新田塚辺り。
遺体は僧侶8人に担がれこの地まで運ばれた後、葬られたそう。
挙兵以来、故郷新田荘に戻ることはなかったそうである。

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足利高氏も敵とはいえ身内(同じ源氏の流れ)でもある新田義貞を悪くは扱わず、江戸時代には胡散臭いが新田の血縁を名乗る徳川により保護をされていたそう。
それにしても、福井市内からここまで遺体を運んだ僧侶は大変だったろうな。
新田義貞の本格的な名誉の回復は明治維新後。生前正四位下左近中将であった官位は贈正一位に奉られるほど。

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新田義貞の墓は称念寺の境内に門まで設えられこれでもかというほどの丁重な扱いを受けている。
明治以降、南朝が正当な天皇の系譜とされたため、忠臣新田義貞の扱いはますます上がってこのような扱いになっているのだろう。
武門の誉であろうし、松尾芭蕉も旅の途中に訪れている。

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ただ、今回訪れた時期が悪かった。
戦国時代の一時期、この寺の門前で浅井家奉公前で浪人中の明智光秀が手習いの塾をしていた。
ちょうどその頃、愛娘でもある後の細川ガラシャが生まれている。
そうなると、街もお寺も2020年の大河ドラマの放送に向けて明智光秀一色に。
とりあえず、新田義貞は置いておこうという感じがありあり。

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至るところに大河のポスター、旗刺し物が揺れる。
こちらとしては、裏切り者よりも最後まで忠義を尽くした武士の墓参りがしたいと言うのに。

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大河ドラマで街おこしか。
確かに明智光秀は朝倉家に一時期使えていたこともあるし、後の将軍足利義昭も上洛を訴えて朝倉家に厄介になっていた。足利とは敵対した新田義貞最後の地に後の足利将軍が居たわけで運命は偶然の積み重ねだ。京都からは裏街道をたどって北陸に流れるものなのだろうか?
明智光秀をここぞとばかりにプッシュするのはわかるけれども、この地の領主朝倉氏とて、結局織田信長に滅ぼされてしまう。
栄枯盛衰とはいえ、申し訳ないが戦国時代の越前は思いの外大したこと無いのでサラッと流す程度にしておいたほうがいいと思うが。

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新幹線延伸に合わせて大河ドラマで新田義貞とかやってくれるといいのにね。
この間太平記やったばかりだから、そう何度も同じようなことをするわけもなし、近々ぶっ潰されるかもしれないNHKがそんなに気が利いているわけがないか。
明智光秀は戦国時代の本線でもある織田信長に弓を引いたことは事実。あんまりそこに乗っかると後で痛い思いをしそうで嫌な予感がするのだが。





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