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腹囲が気になる福井の旅 越前松平家の菩提寺 大安禅寺 参拝 19.11.28 11:24

福井市の郊外、だいぶ山の中に入ったなと思うようなところに大安禅寺がある。
それでも、車ならあっという間の時間なのだが、徒歩や籠だと行って帰って1日がかりだろう。
寺は、福井藩第四代藩主松平光通が大愚宗築を開山とした越前松平家の菩提所。
ほぼすべての建物が福井空襲や福井地震の影響も受けずに創建当時のまま存在していて、国の重要文化財に指定されているのだが、今は本殿が令和の大工事とかで、足場がかかり近くにも寄れなかったのが残念。

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大安禅寺の見どころは重要文化財の堂宇もそうだけれども、山奥にひっそりと佇む越前松平家の墓。
境内からだいぶ山の中へと入らなければならず、朝方小雨が降ったためかなり足場が悪いらしく、滑るから十分気をつけてくださいとお寺の人に注意をされての参拝。おっかなびっくりだ。
境内裏の獣道のような山道を入って(実際、イノシシが出るらしく境内に入らないように柵や扉があったりしている)行くと檀家の墓地になっている。そのまま奥へ奥へと山道を登ると、狭い階段があり、看板がここを行けと案内する。落ち葉が濡れて結構滑る。急な階段を上り詰める先の奥まった開けた土地に越前松平家の歴代の墓石が並ぶ。この場所は千畳敷と呼ばれている。

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墓所自体は四代目藩主松平光通が造ったそうで、現地の看板的には正面に結城秀康、三代、四代、五代、八代、九代、10代、11代と飛び飛び。この数え方だと(越前松平家は改易や減俸が激しく、結城系を松平系の歴代に入れるかどうかで意見が分かれる)幕末に活躍した藩主の松平春嶽は一般的には16代目となると考えると、歯抜け感は否めない。福井市内の運正寺(藤島神社がある足羽山山麓に墓地があったが福井地震で霊廟散逸)も菩提寺だが、こちらも初代秀康から、8,10,14,15代の菩提寺で(10代松平宗矩かぶってる)、東京品川の海晏寺にも墓がある(海晏寺は非公開)と菩提寺はバラバラ。名門にしてはちょっと頂けないかな。名門すぎるがためのこの体なのか。

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それでも千畳敷と言われる墓所は怖いほぼ霊的だ。
寺の看板に寄ると巨大な墓石は上野の寛永寺の徳川家のものよりも大きいらしい(笑)そんなことをしているから越前はなにかと徳川宗家から疎まれるんだろう。負けず嫌いなところは認めるが。周囲から隠されるように建てられた巨大な墓石が謙虚さの至らなさを表している。75万石から始まった結城秀康の福井藩も最悪25万石まで減俸されている。それが現実なのに。

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千畳敷、一通りの藩主に祈りを捧げる。巨大な石碑が倒れてきたらと思わずに居られない。
こんな山の中でなにかあっても誰か来るまでにはどれほど時間がかかるだろう?
各藩の菩提寺って、一国一城令が出された後、結構お城の役目も果たしている。
福井城からの程ない距離。この山の中の雰囲気。菩提寺を根城に一戦の意味もあるのだろう。
ただ、そういう気概と準備はいいのだが、結局本当にそれを利用して戦ったのは長崎のキリシタンと東北の列藩だけだからなぁ。

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そうそう、で、結果何が滑るのかというと、千畳敷の墓石エリアに敷石がしっかりと隙間なくひかれていて、ぬかるまないよう足元がいいようになっているのだが、問題はその石畳に苔が薄っすらと生えてそれが雨に濡れて滑る滑る。氷の上を歩いているよう。つるつる。
確かにこれはかなり危険だ。つるりと行って勝手に倒れるのは自由だが、思わず墓石に手をついて倒してしまったということになると責任問題(笑)世が世なら打ち首獄門間違いなし。
慎重の上にも慎重に歩いて見てまわたのだけれども、無理して墓石の近くまで寄らなくても千畳敷の門の外側から見て歩くだけでも十分伝わるものがあったが。

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名君として有名で尊皇派の中心でもあった幕末の藩主松平春嶽もなんとなく尻窄みな感じがして仕方がないのも、世代が変わるたびに石高が減らされていった福井藩では仕方がないか。親藩とはいえ、幕末に無理してまで徳川に奉じる必要はなかったのかもしれない。
なんとなく、どことなく徳川宗家との距離感を感じる越前松平家の菩提寺。そんな感じがするのは、なぜだろう?





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