赤穂浪士討ち入りの日 銀座、四谷、新宿と都内散歩 19.12.14 12:58
時に元禄十五年十二月十四日、 江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、 耳を澄ませて太鼓を数え「おう、 正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
の赤穂浪士討ち入りの日。本当は明日の朝の話なのだが。銀座、四谷、新宿と写真展見物にかこつけて東京の街をぷらぷらして見た。
が、今ひとつ年末感が伝わらないのは我ながら残念でならない。
日本中が一昔前ほど年末年末していないのも理由かな?
まぁ、銀座は別にして、四谷にしろ新宿にしろ、そもそも不夜城で季節感自体がない街だから、仕方がないじゃん。というのは大人の言い訳。
冬の休日ということで、東京といえども空気はきれいだったかな?
320年余昔の話とはいえ、そんな東京の街を47人のテロリスト・・・じゃない本懐を遂げた浪士たちが、切り落とした年寄・・・じゃない憎き敵の吉良上野介の首をぶら下げて街を闊歩したなんていう黒歴史は、当時の政府の幕府としても安全衛生と公安の観点から消し去りたい黒歴史だろう。
先日訪れた諏訪の寺にこの事件の責任を負わされて諏訪に流された吉良上野介義央の息子の墓があった。
上杉家からの養子で体が弱く病弱だったそうだから、彼にしてみればいい迷惑な事件だっただろう。
四谷や新宿は別にして、銀座は明らかに吉良邸から泉岳寺への通り道。果たして今ならどうなるか・・・そんな事を考えながら歩く東京の街めぐりも悪くない。