【埼玉県川島町】鎌倉殿の比企氏、史跡めぐり 比企氏の菩提寺、金剛寺 22.09.30_12:50
川島町の金剛寺は鎌倉の妙本寺と並ぶ比企氏の菩提寺。
比企殿の菩提寺にしては金剛寺とかいかつい名称。
草燃えるの時の佐藤慶ならまだしも、鎌倉殿の佐藤二朗だと・・・
境内は思いの外ゆったりとしているのだが、比企氏の墓は隠れるように建っている。
鎌倉時代、比企の変で比企能員共々一族は北条とその仲間たちに殺害された事になっているが、息子の比企能本は逃げ出すことに成功、各地を転々とした後、鎌倉四代将軍藤原頼経らの計らいで鎌倉に戻り、日蓮宗に帰依して鎌倉の妙本寺で一族の暮靄を弔う。
金剛寺も比企氏の生き残りが累々続いて、天正年間(つまりは戦国時代。何百年後だよ)になり末裔の比企左馬之助則員(伝比企氏15代)が中興した寺。比企氏の館跡だったという話も・・・。
比企家15代則員、16代義久、17代重久、18代久員ら歴代の比企氏の墓が建てられたそうだ。
墓の前の大日堂も龍が出たとか何だとか、いわれがあるみたいだが・・・まぁ、伝説ということで。
後の世になってできた菩提寺ってわけね・・・。
そうなると、最近行っていないので、鎌倉の妙本寺に行きたくなってくる。